世界大博物図鑑

アラマタが生命をかけ(?)著したマグナム・オプス、平凡社の博物図鑑である。

世界大博物図鑑 @蟲類編(1991.08.23)
世界大博物図鑑 A魚類編(1989.05.30)
世界大博物図鑑 B両性・爬虫類編 (1990.07.20)
世界大博物図鑑 C鳥類編(1987.05.25)
世界大博物図鑑 D哺乳類編(1988.04.25)
世界大博物図鑑 別巻@絶滅・希少鳥類編(1993.05.25)
世界大博物図鑑 別巻A水生無脊椎動物編 (-) 

の全7巻。




 日魯漁業退職後、平凡社の「世界大百科事典」の編集に携わっていたアラマタ。 この頃から平凡社での寝泊まりが常習化していたようであるが、この「世界大博物図鑑」 制作においても、やりたい事が多すぎた事もあってその作業は困難をきわめたらしい。

 当初は規則正しく編集作業を行っていたが、「魚類編」に突入するあたりから、平凡社にまったくの居続け状態。デスクの椅子を並べて、寝ては起きるという生活を続けた。しかし、重傷の風邪を患ったことをきっかけに、カプセルホテル利用に切り替え。しかしその生活も、夜中の3時半まで平凡社で作業をした後カプセルに移動し、睡眠時間4時間30分程度でまた平凡社に戻り、執筆を続けるというものであった。平行して「花博」のための図鑑制作等を行っていたこともあって、この時期アラマタは多忙を極めており、結局、編集部にあった取材で使った寝袋を布団代わりに平凡社で暮らす、という異常な生活を送った。

 このあたりの話が誇張もされ、「家を数件もっていながら帰らない」などといったアラマタ伝説につながっていったんでしょう(まあ、大筋では正しい)。

 ただし本人は、
・高価な稀少本をすべて平凡社においていたため警備も出来る
・社員が帰ったあと平凡社の蔵書も読める
などから、この生活を結構気に入っていた模様。


-追記-

雑誌「QA」(平凡社)連載の「奇っ怪紳士録 -大伴昌司-」(1988/6)に以下の記述がある。

「大伴さんは両親を憎んだのではない。むしろ、自分でもこわいくらいに愛していたはずだ。というのは、本気で両親を嫌っている筆者の場合、あのうっとうしい実家へは、一歩たりとも近づきたくはないからだ。そのため四十路にもなって、あわれ放浪生活をしている。」

本人はこれまで一切このような話をしたことはないが、家族に対してなにか複雑な思いがあり、家に帰らないという習慣がついていったのかもしれない。