朝日新聞がオヤジ向けサイト「どらく」を開設し、荒俣も編集員の一人に就任しました。

朝日新聞がビートルズ世代に贈る、こだわりのエンタテインメントサイト「どらく」の中の連載コラム。荒俣宏が“どらく編集委員”の一人として参加、毎月月末に「極める」をテーマにコラムを寄稿。他の編集委員は、稲本正、三好和義、森永卓郎、マリ・クリスティーヌ。

06/06/26-10/03/15の間、月イチでコラム「どらく通信」を寄稿していました。

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2006/06/26 「極めつけ、に出会えるまで」

極める、という営みは、「千人斬り」に似ている。いや、エッチな話ではない。弁慶が京の五条大橋に出没して、千本の刀を集めようとした話のような、満願成就までは罪深い鬼になることも辞さない人々の、はた迷惑といえなくもない一途な営みのことだ。しかも、満願成就の証となるのは、なかなか達成できない数や量をクリアーすること。ただひたすら数を集めているうちに、そのばかばかしく膨大な数が、ある日とつぜん「質」に変わる。わかった! と悟りをひらくのは、千人とか一万個とか、区切りのいい大数がそろった瞬間なのだ。 2004年4月から一年間、朝日新聞be土曜版「こだわり会館」で、そんな千人斬りの人たちを見てきた。7年間、エレベーターの歴史と謎を調べつづけ200台以上の実物にあたった普通の会社員。昨今騒ぎになっているエレベーター事故で、いかにこの機械が謎だらけかわかってきたが、それをずっと前から追っていた。20年以上も世界の古いゲームを調べつづける小学校の先生。テレビも新聞も読まないで、失われたゲームの発掘に専心する。花札だけでも200種もの遊び方がある。この人が亡くなったら永久に遊び方が分からなくなるゲームが、たくさんある。50年間、号外を集めつづけるコレクター。彰義隊が官軍に負けたとき、日本初の号外が出た。すでに2万枚を超えた。夢は号外資料館の建設だ。すごい、の一言である。 もっともっと、千人斬りをめざす現代の弁慶を知りたい。極める人の「極めつけ」に出会えるまで。

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2006/07/31 「かぞえて、食べる達人」

「食に命を懸ける会」という、極めた人たちばかりズラリとそろった会がある。メンバーをおいおい紹介していくけれども、まずは、名誉会長のすごさには脱帽せざるをえない。 名誉会長はT京農大の小泉T夫教授といい、カビと臭いものを研究する味覚人である。教授は、美味しいものを百倍も美味しそうに表現する「食べっぷり」文章の大家であるが、それをさらに数値化して止めをさす名人でもある。たとえば、信州松本のぶどうをお送りすると、「ぶどう一粒の皮に150万匹の野生酵母がいます。頂戴したぶどう10房を数えましたら1832粒。実に63億匹の酵母です。私は地球の人口と同数の命を胃袋に収めようとしています」 また、ロシアから決死の思いでキャビアをお送りしたら、「キャビア1gに137粒でした。全量113gなので、1日1粒食べていくと15481日楽しめます。食べ終えたとき私は42歳ふえて101歳です。こんなにたくさん有難う」 あまりにすごいので、教授にお送りできる「粒もの」を、いつも探している。

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2006/08/28 「極めた人のレストラン」

パリのアーティストには料理好きが高じて、店をひらく人がよくいる。リュック・ベッソンはその代表だ。ぼくも先日、パリへ取材にいった折、そういう人のお店にはいった。ガイドブックや雑誌に紹介されているレストランは当たったためしがないけれど、いつも同じところでは能がないので、あまり期待せずに選んだ一軒がレカイユ・ドゥ・ラ・フォンテーヌだった。フランスの名優ジェラール・ドパルデューが牡蠣(かき)好きが高じて開いたシーフード・レストランだ。ドパルデューの食通ぶりは有名で、「MA CUISINE」という料理本を出したり、自ら製造・販売したワイン「CHATEAU DE TIGNE」をモスクワまで売り込みにいったこともある。 案内された2階は、ドパルデューのプライベートな写真がところ狭しと飾ってあり、自宅のリビングに招かれたかのようだ。ぼくがたのんだ前菜の「イワシの酢漬け」は、四角い皿にイワシ3匹が並んでいるだけの実にシンプルな料理だったが、素材が新鮮でなかなかイケた。メインの「ヒメジのから揚げ」も付け合せがほとんどなく、しお、こしょうして揚げただけという感じだったが、十分満足した。あれこれ手を加えるより素材の良さで勝負しているあたりが、食べつくした者が辿りついた料理という感じで気に入った。 次回は絶対牡蠣のシーズンに来ようと心に決めて帰りの飛行機に乗り込んだ。一眠りして起きると、「ラスト・ホリデイ」という映画をやっていた。主人公が余命数カ月と診断され、全財産使い果たそうとスイスの豪華ホテルで豪遊する話だ。この主人公がまたよく食べること食べること。6人前ぐらいをペロリとたいらげるのでシェフも驚いて挨拶(あいさつ)にくるほどだ。大写しになったその顔をみて僕も驚いた。ジェラール・ドパルデューその人ではないか。さすが、極めた人だけある。映画でも、シェフを演じていた!

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2006/09/25 「寿三郎さんの人形」

東京・人形町にある「ジュサブロー館」をときどき覗(のぞ)くと、一階の仕事場で辻村寿三郎さんが人形を作ってらっしゃるお姿に、ときどき出会える。人形作りを一生の仕事と決めてから、人形座の本拠だった人形町結城座の跡地とされる場所に落ち着かれるまでの波乱のお話を聞き、人形を拝見する。やって来る一般のお客様とおしゃべりされながら、すいすいと仕事をすすめられる手わざに見とれる。 先日、寿三郎さんが小、中学校時代をすごされた広島県三次(みしま)に出かけて、人形の舞いを拝見した。運命のいたずらで原爆に遭わずに済んだこと、まるで「たけくらべ」の世界に還(かえ)ったような廓(くるわ)があった街のたたずまい、そして闇と霧の深さ、そういう昔話をされた寿三郎さんが、粋な江戸女の人形をイナバウアーのようにのけぞらせ、切なく震わせると、会場が沸いた。やっぱり、すごい。今のような、別の意味の闇が覆う時代だから、「切なさ」というこわれやすい感性が、新鮮だった。天は、然るべき人に然(しか)るべき仕事を極めさせるものだなぁ、と思った。

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2006/10/30 「作家の取材」

振り込め詐欺の被害が拡大している。わが業界も例外ではないらしく、私が所属する日本文藝家協会でも注意を呼びかけている。協会機関紙によると、最近は「息子さん(だんなさん)が痴漢行為をした」「会社で使い込みをして穴埋めをしなければならない」などと賠償金や示談金を振り込ませる手口がでてきた。また新しい傾向として、98万円と細かく指定してくるケースが目立つようになってきている。これは100万円を超えると金融機関の警戒が厳しくなるためだそうだ。 昨年の被害額128億円のうち圧倒的に被害者が多いのが東京で、全体の25%の36億円。これは大阪の8285万円の30倍以上で、どうやら「都民はお人よし」ということらしい。とにかく、一度電話を切った後で、必ず本人に連絡を取り、事実を確認すること。そして事実が確認できないときは、絶対に振り込まないこと。ナルホド、ナルホド。 ・・・っと、この先を読んでたまげてしまった。 「小説家として『騙される』自分を承知しながら詐欺犯に応対する以外は、これを参考に、くれぐれもご注意いただきますように」!!!さすが作家の機関紙である。身を挺(てい)して取材を極めるということか。 しかし、私はもっとすごい取材をやった人を知っている。「失踪日記」で今年の手塚治虫文化賞を受賞した吾妻ひでお先生だ。まんが家のいしかわじゅんさん曰(いわ)く、「しばらく見ない間どこへ行っていたのかたずねたら、ホームレスをやっていたという。結果的に『失踪日記』のための取材になった」。これぞ究極の取材旅行だ。

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2006/11/30 「蔵を極める」

最近、新潟県長岡市が「醸造の町」として売り出している摂田屋町を見学に行った。じつは、荒俣はその昔、ここに残された「機那サフラン酒」の蔵を取材したことがある。表を飾る鏝絵(こてえ)のあまりのすごさに圧倒され、日本第一の鏝絵作品と折り紙をつけた。その蔵が2年前の中越大震災で大きな被害を受けたというのだ。 15年以上も間があいての再訪だったが、ナマコ壁や漆喰が剥落(はくらく)し、危機的な状況を迎えていた。さいわい、左官屋さんの有志が補修に乗りだしたと聞いて安心したが、それにしても蔵のすごさに改めて関心した。サフラン酒であてた初代吉沢仁太郎さんが大正時代に、お酒の宣伝もあったのだろうが、ありったけの資材をかたむけて鏝絵の蔵をつくらせた。 漆喰を塗って立体的な装飾をつくる鏝絵といえば、元祖は伊豆の長八だが、長八は室内の装飾が得意だった。ところがこの蔵は屋外に極彩色の鏝絵を飾った。もう80年近く風雨に曝(さら)されてきたのに、その色彩が褪(あ)せない! 長八も色が落ちないカラー鏝絵を創造するのに苦しんだわけだから、これは奇跡に近い。町が保存と再活用を考え始めたのは、蔵の将来にとっても光明だ。しかし修復には莫大なお金が必要なので、みんなで手助けができればいい。 僕は、1時間ほど鏝絵を眺めて、満喫した。前回解読できなかった鏝絵の絵柄の意味も、すこし分かった。極めつけの蔵とは、まさにこれなのだ。

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2006/12/27 「情報を極める大学」

京都にある同志社大学文化情報学部へ行ってきた。「好奇心を刺激する未知のステージ」という謳(うた)い文句が、いかにも新設学部らしい。コンピュータの力をフルに使って、人間の活動を探ろうというのだ。 取り扱う対象は、文化すべて。たとえば、和歌や浮世絵の解析から戒名の分析、歴代首相が行った演説の傾向探求、サイコロゲームの目の出かたの研究など、やってみたくなるようなテーマがそろう。 シンポジウムのテキストを見ただけで、思わず、唸(うな)った。 これはひょっとすると、これまでファジーすぎて勘や感性に頼っていたことや物が、数量化できて、おまけに大きな発見にもつながりそう。たとえば浮世絵の顔の数量分析では、絵が描かれた時代と絵師がすごい精度で特定できたりする。 そういえば、数年前にテレビで先端・独創の学者さんたちを紹介する「ブレイン・サミット」という番組があった。あのときは、あっとおどろく再生医療の最前線とか、花粉を使って発電する研究などがあった。花粉入り染料で染めた服を着れば携帯やゲーム機の電源が得られるかもしれない。 大学でも「極める作業」がはじまったようだ。

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2007/01/29 「「極める=長続き」を実践するには」

わたしはサラリーマンを10年経験したので、作家になってからも朝から夜まで働くことが苦にならず、気がつくと300冊も本を出していた。めざすはひと月に1冊生産、でもそこまでは不可能なのだが、ほんとにそのペースで本を書く人に出会った。 中谷彰宏さんはビジネスや生き方のヒントに関する本を書く人気作家だが、あるとき著書をいただいたのをキッカケに、書店で気をつけてみると、ほんとに毎月1冊、多いときは2冊出版されているではないか。呆(あき)れるほどのハイペースなのだが、本の内容にいつもその秘訣(ひけつ)がはっきり書かれてある。 とくに秀逸な文章を紹介しよう。「夢を実現するための参考書はありません。でも、あらゆることが参考書になるのです」と。中谷さんは、あるテーマを与えられたら「それにかかわる本」と「無関係な本」の両方を読む人がチャンスをつかむ、と言い切る。それって、わたしのやり方と同じだ。ヒントは案外「外」にある。「外」があれば、行き詰まりがなくなり、長続きする。歳とっても投げ続ける投手が、ストライクだけでなくボール球をうまく使うのと同じだ。極めることは長続きすること、これ、真理である。

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2007/02/26 「町工場で極める人々」

先日、国立科学博物館で開かれた「ものづくり展」を見物した。ものづくりの達人は、大企業でなく、むしろ小さな町工場にいて、日々その技を極めているのである。すでに発明を付け加える余地なしといわれた自転車に対し、こぐごとに自動的にタイヤに空気がはいる仕掛けを発明した達人。銅と鉄という異金属を二枚重ねて完全に溶着してしまう達人。携帯電話の電磁波をシールドするのに銅粉を利用することを考えついたメッキの達人。 みごとなのは、真空を利用して砂で鋳型をつくり、用が済んだら元のさらさらした砂に戻すという完全リサイクルを達成した達人。真空にするのは電気掃除機があればいい! 圧巻は、発泡スチロールでこしらえた模型から寸分たがわぬ金属鋳造物をつくる達人。発泡スチロールで原型をつくればいいのだから、巨大な鋳物も楽にできあがる! じつはこういう職人技が他国に真似できない日本の発明をどんどん増やしているのだ。極める人はマニアな世界だけでなく、日常にもいることを知って、快感だった。

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2007/03/26 「応援歌の極み」

「ロッキー・ザ・ファイナル」を観(み)てきた。老年に達して、奥さんに先立たれ、息子からも疎んじられ、といって昔の名声を汚すわけにも行かず…人生の行き場を失ったロッキーだが、今回はなんだか自分のためにではなく、団塊世代ことベビーブーマーの応援歌として、無謀なエキジビション・ファイトに挑む。あいかわらずのノーガードの殴りあいに、極めた人の心意気を見た。 スタローンは30年前、自作のシナリオを売り込んで超低予算の映画を監督主演した。これが「ロッキー」第一作だったが、今回は6作目。思えば団塊世代は、学生時代の「あしたのジョー」、社会人になってからの「ロッキー」と、いつもボクサー物語を応援歌にして歩んできた。ジョーは最後に<真っ白>になって燃えつきたけれど、ロッキーは定年後もまだがんばっている。ネバーギブアップだから、まだ極めてはいないらしい。その証拠に、スタローンは「ランボー」の新作を撮っているらしいのだ。この調子だと、「ロッキー・ザ・ファイナル?2」も観られるな、きっと。

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2007/04/23 「天皇が護る水があった」

酒どころ伏見は、町も幕末のイメージを漂わせ、京都でも最高のそぞろ歩きスポットだが、ここで極まっているのが、酒づくりの店だ。創業が延宝(えんぽう)元年(1673)という玉乃光酒造で取材をしたとき、すべては東山丘陵にそって地下を流れる伏流水にあり、酒造りも茶道文化も京菓子も、料理も友禅染めも、みんな巨大な水がめの上に成り立っているのだ。この水がいまも清浄なのは、水源部に桓武天皇と明治天皇の御陵(ごりょう)があり、開発の手がはいらなかったおかげなのだ。戦時中に軍部がこの水脈を断つ計画をたてたとき、酒づくりの旦那衆が体を張って阻止したのだが、そのときの啖呵(たんか)がすごかった。「軍部は桓武天皇と明治天皇に刃を向ける気か!」ひとこともなかったらしい。発酵中の「もろみ」が寝かしてある大きな容器から、ぱちぱちとかすかな音がする。生きている麹カビが糖分からアルコールを合成する音だ。顔を近づけようとしたら、炭酸ガスも出るから気をつけて、といわれた。

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2007/05/28 「雪を味方につけた達人」

やっぱり自然はすごい、と感じる年齢になると、農漁業が気になる。岐阜の山のなかでトコロテンを生産する現場を見て、海のものも山でつくられると知り、いよいよ興味が湧いた。 この2月、長野の山の中に「スノーキャロット」を掘りにいく体験をしたが、これもまたすばらしかった。江口宗晴さんという達人が、豪雪地帯の雪を味方につける農業をめざした。苦難の末に完成したのが、スノーキャロットだった。ニンジンを一冬掘らずに地面に植えておくのだ。もちろん冬に2メートルもの雪が積もる。ところがニンジンは雪の下でがんばり、糖分を蓄え、驚くほど甘くなる。雪を掘り、小さくてきれいなスノーキャロットが出てくると、雪に突っ込んで泥を落とし、生で丸かじりだ。実にうまい。ジュースにすると、体が泣いて喜んだ。これで、豪雪地域の冬でも収穫があがるようになった。 江口さんご本人も、ニンジンの赤さそっくりの、熱い人だった。

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2007/06/25 「60歳の手習い」

いよいよ還暦を迎える。これを機会になにか新しい挑戦をしてみようと思い、ダイビングのライセンスを取得することにした。もう40年も南の磯に通っているが、これまでは魚の採集を行うため素潜り一筋だった。そこで、老齢になった記念に、採集から観察に切り替え、一歩だけ道を極めたくなったのだ。 ダイビングは安全を確保するスポーツだから、高齢者には健康チェックが課せられる。でも、ここ6年、健康診断などしたことがなく、自分の健康状態をまったく知らない事実が、いきなり発覚してしまった。ダイビングするなら、風邪をひいてもいけない、と厳しいのだ。なんとか学科をクリアし、実際に海でトレーニングが始まると、自分でも歯がゆくなるほどに覚えが悪い。若いカップルはすぐに中性浮力を獲得するのだが、こっちは急に浮いたり沈んだり。浮上の際にも息を止めてしまう。耳抜きもできない。これじゃぁ、深場だと事故死ですよ、とインストラクターにからかわれながらも、3本ダイブを修了した。 まだ若いことを証明するためにはじめたつもりが、かえって老齢を実感する結果になったとはいえ、それでも3ダイブめには水中カメラを写せるようになった。気がつくと水深7mを超えるあたりで泳ぎまわっていた。久しぶりに、うれしい! 聞けば、60歳以上のダイバー志望者が急増しているという。わたしのあとも、10人の老齢者が集団で講習を受けに来るとのこと。団塊世代は、無鉄砲な挑戦精神だけが取柄だ。水中への挑戦は健康に気を配る慎重さも習慣づけられるから、たったひとつの取柄にも磨きをかけられそうだ。

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2007/07/30 「成熟させない理由?」

このところ宮崎や宮古島産の完熟マンゴーを食べる機会がふえた。ご存じのように、このマンゴーは完熟して自然に樹から落ちるまでもぎ取らない。落ちてもいいように予めネットがかぶせてある。だから、買った直後に食べてもじつに甘いのだ。 ふつうのマンゴーを店で買うと、食べごろは3日あとですよ、などと注意される。でも、マンゴー好きなので待てないから、すぐにかぶりついてしまう。結果、甘味のすくない果実にがっかりすることになる。最近はイチゴもモモも、メロンも早出しで店に並ぶせいか、昔のように甘いのに当たることが少なくなった。数日置いておいても、昔のような甘味は得られない。つまり、まだ熟さないうちに店頭に出すほうが流通などの便宜上、都合がいいのだろう。 それで思い出すことがある。40年以上前に見た連続テレビドラマに、『若者たち』というのがあった。田中邦衛が今の『北の国から』を彷彿させる役どころで出演していた。そのなかに「スズランを刈る男」という一話があった。東京に出ようとするボクサー志望の青年が旅費を工面するために、咲いたスズランを一晩かけて刈り、市場へもっていくのだが、咲いたスズランは商品にならないからと引き取ってもらえない。青年は夢を諦める。 そのドラマのことを、まだ甘くない果物を口にするたびに思い出す。でも、完熟マンゴーがそのセオリーを覆した。妻の実家がある松本にも、ブドウを完熟状態で出荷してくれる店があって、ここのはほんとうに甘いのだ。熟すことを大切にする気風はまだ残っている。

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2007/08/27 「ドライミストから涼霧へ」

今年の夏はあまりに暑い。省エネで、しかも自然の涼しさを得られる技術はないものか、とわたしは真剣に悩みながら今夏を迎えた。そこで思い出したのが、2年前の愛知万博で紹介されたヒートアイランド対策の新技術「ドライミスト」だった。超ミクロの霧を噴出し、打ち水と同じ涼感を得る装置で、ノズルとパイプだけの構造だから、商店街や広場に設置できる。ミクロの霧なので、濡れる心配がなく、確実に気温が下がる。エアコンのように室外機から熱風を出すこともない。 この「ドライミスト」を自宅に設置できないものか。幸い、温暖化防止の研究をされている知り合いの教授から、「いけうち」という大阪のノズル会社がもっと軽便で機能的なノズルを制作している、と教えていただいた。 さっそく連絡し、「涼霧システム」という微細な霧「セミドライフォグ」を発生させる装置をみせてもらった。このノズルをベランダと屋根に設置し、気温が35度以上に上がると自動的に水と霧を出すようにした。モニターも兼ねているので計器がたくさん付いた。それで見ると、屋根はすぐに50度を越える高温になる。さっそく屋根の散霧が始まった。たちまち30度まで温度がさがる。ベランダ「涼霧」ノズルも勢いよく、濡れない霧を出した。涼しい! 我が家もついに愛知万博と同じ省エネ・ヒートアイランド対策をたちあげたか、と感動しながら2週間がすぎた。順調に装置が作動し、屋根が冷えている。が、万歳と思った瞬間、想定外の事件がおこった! 古い屋根の隙間から水が滲みこみ、雨漏りが発生してしまったのだ。今、屋根を修理中。ウーーム、暑さとの戦いは前途多難だ。

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2007/10/01 「魚介缶詰の味の秘密」

今年6月に創業100周年を迎えた会社「ニチロ」が、記念に、昔の魚介缶詰5種類6缶を復刻した限定セットをつくり、関係先に贈った。わたしは今から30年前に籍を置いていたダメOB社員だけれども、なんでも集めるのが趣味なので、この珍しい限定品をいただいた。 ニチロといえば旧社名「日魯漁業」のアケボノ印サケ缶詰が有名で、日本の家庭に缶詰サケの味を普及させた会社だ。昭和30年代、我が家でご馳走といえば、夕食のおかずに出るサケ缶詰だった。大きなお皿にたっぷりと大根おろしを載せ、そのうえにサケを煮汁ごと空けて、上から醤油をたらす。これを一家5人で分け合いながら、熱いゴハンとともに掻っ込む。中骨も皮も一緒に食べるので、とにかくうまかった。文明の味ってこれなのだ、と思ったものだ。ところが大人になると缶詰をおいしく感じなくなり、サケ缶にも感動しなくなった。 そこへ、この復刻版である。昔、ニチロは豪華なタラバガニの脚肉詰め、毛ガニの缶詰もたくさん生産していた。これらはほんとうのご馳走なのだが、やっぱり庶民のご馳走はサケ缶だ。なんと、今回は昔どおりのおいしさで、思わず目をみはった。なんでこんなにうまいのだろうと、説明書を読んだら、釧路沖で取れた新鮮なカラフトマスを昔どおりに手詰めでパックした、とある。なるほど、わたしが子どもの頃に食べたサケ缶は、サケマス缶詰工船が獲れたばかりの鮮魚を船内で加工して缶詰にしたものだったのだ。最近の缶詰とは、「サシミ」と「冷凍」ほども違うフレッシュな食品だったと、知った。 昔のサケ缶がほんとうにおいしかった理由がわかり、ふたたび缶詰がなつかしくなった。 さっそくサケ缶を買いに行ったら、なんと、昔の味をよみがえらせた「あけぼのさけ復刻版」が市販されているではないか。そのほか、味にこだわった魚介缶詰が最近はたくさん販売されている。缶詰も「極める」方向に動きだしたのなら、すばらしいことだ。 ちなみに、100周年を迎えたばかりのニチロが、マルハと統合することになった。社名は変えても、サケ缶の味を変えてはいけないと、心から願っている今日この頃だ。

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2007/10/29 「日本の里山にもノーベル平和賞をあげたい」

世界的に地球温暖化への心配が高まっている。日本でも急に関心が集中しだしたのは、なんといってもゴアさんが来日して、今年のノーベル平和賞を獲得する決め手となった警告映画「不都合な真実」を宣伝したことが大きかった。でも、日本人は古くから、ゴアさんのように声高には叫ばないが、環境をまもるための知恵を実践しつづけてきた。その「極み」ともいうべき実例を、琵琶湖で見る機会を得た。 琵琶湖は豊かな湖で、水産物だけでなく水運やら農業やら、果ては日本文化や信長や秀吉の天下取りにまで、大きな力を与えた。今でも、近江には水を汚さずに活用する工夫が随所に見られ、自然環境を保全する暮らし方の百科事典のような文化を育て上げた。なかでも、西近江にある新旭町の針江地区は「生水(しょうず)の郷」として知られ、街を歩くと家のかたわらを流れる小さな側溝に、なんとアユの群れが泳ぎ、子どもが網でアユをすくっている! この地区では豊富な湧き水を各家に引き込み、川端(かばた)と呼ばれる石の升に水を溜め、まず飲料水、つづいてお茶碗など炊事の洗い物、そして洗濯やら農作物の水洗いに使い、その水を水路に流す。でも、水路はまったく汚れないから、モロコやニゴイなどの子がたくさん泳いでいる。じつは、食事のあとのお茶碗や生ゴミを、川端にはいりこむ大きな鯉(こい)の群れがぜんぶきれいに食べてくれるのだ。カレーの残りがはいったおなべを川端につけたら、鯉がわっと集まってきて、カレーをきれいに舐めてしまったのには驚いた。洗濯場でも洗剤は使わない。水路の清らかさを守るのは住民全体の責務だ。この水でつくった豆腐とお酒もいただいたが、じつにうまかった。湧き水なので、だいたい14度前後の水温だから、夏は冷蔵庫代わりになるし、冬は水仕事してもあたたかい。水の力だけで省エネが実現されている。 街の長老の方が、近くの川へ漁に連れて行ってくださった。じつに澄んだ水で、底が見える。赤いザリガニがたくさんいた。「毎日水路を掃除してないと、この清らかさは保てないよ。でも、ザリガニは昔はいなかったがね」と、教えてもらった。琵琶湖の岸辺では、富栄養化を防ぐ葦原の保全にも力が注がれている。この暮らしぶりは、ゴアさんの話以上に説得力があった。

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2007/11/26 「菊を極める」

この秋は菊の栽培について話を聞く機会が多かった。11月15日には、新宿御苑で開かれている「菊花壇展」を見物に出かけたが、皇室ゆかりの菊のものすごさに腰を抜かしてしまった。 菊が皇室の紋章に定められた明治元年以来、パレスガーデンだった赤坂離宮内で菊づくりが始まり、明治37年からは新宿御苑での栽培も始まった。それにともない、観菊会が盛んに行われ、多くの驚くべき品種も作成されるのだが、なんといっても圧巻なのは、「大作り」と呼ばれる菊だろう。俗に「千輪咲き」とも呼ばれ、一本の茎から最大で二千もの花が咲く。普通1色だが、たくさんの色の花を継いだものもあったといわれる。明治17年ごろから作出されだしたのだそうだ。 花の付きのよい大菊を用いて、摘芯を繰り返しながら芽を増やし、まるで花笠のような形状にする。これがまた尋常ではなく、主としてこの新宿御苑で独自の発展をとげた。1900年パリ万博には大作りが展示され、世界を驚かせた。最低でも数百ある花を幾何学的に配置し、そのうえ一斉に咲かせなければならないので、ほとんど神業といえる。まさしく名人芸としかいいようがないから、植物の育成と品種作りのわざを「園芸」と呼ぶのも、しごく当然だろう。芸とは、だれも真似られないわざのことだからだ。 大作り花壇は、伝統的な上屋に飾られていた。野外の花壇ではなく、鉢植えが室内に置かれている。見物客が野外にいて、菊は屋根の下だ。こういう花の見せかたは、日本だけではないだろうか。私はただただ感心しながら、大作りの菊を見てまわった。

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2007/12/25 「日本「ものづくり」の星、ロボット」

この秋、上野の国立科学博物館で「大ロボット博」が開催され、評判を呼んでいる。なにしろ、これからのものづくりの柱になる分野だけに、関心は高い。しかしロボットに関するかぎり、日本には欧米にない絶対的な有利さがある。それは、ロボットを機械とみなさないことだ。欧米では、ロボットは魂をもたない「働く機械」であり、人間にとっては仕事を奪う脅威でもある。だから、ロボット打ちこわしのような敵意ある反応を示す。ところが日本は違う。ロボットは魂をもつ人形(ひとがた)なのだし、労働もしない。ちょっと異質で崇高な仲間なのだ。たとえば、日本最古のロボットは、高陽親王が創(つく)った「田に水を流すからくり人形」だが、この人形がもつ桶(おけ)に水をいれると自分で田に水を流すので、人びとがおもしろがって水を運んだ。いわばエンターテイナーであった。中国でも陳平という匠が創った最初のロボットは、包囲した敵軍の前でなまめかしく踊る美人の舞踏人形だった。また、日本初の近代的ロボット「学天則」も、製作した西村真琴博士(水戸黄門役で有名な西村晃さんのおとうさん)のコンセプトで、微笑し、考え、文字を書くというコミュニケーションロボットとして造られた。 「大ロボット博」に展示された日本の最先端ロボットは、「人間」と同じ姿をした、人間協調型のロボットが多く、しかもこのイベントでは、機械だけでなく「鉄腕アトム」や「マジンガーZ」のような親しいキャラクターも同等に展示されている。おどろいたのは、「人間とロボットによる舞踏会」まで開催されたことだ。ロボットと踊ったダンサーの方が、「崇高な気分でした」と感想をいわれたが、これぞ日本人の感性といえるだろう。ロボットと一緒に暮らす未来。それは日本人の感性がロボット文化として世界にひろまることだと思った。展覧会は1月27日まで開かれている。

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2008/01/28 「絨毯を極める」

正月休みにトルコへ出かけた。団体旅行のお約束で行った絨毯(じゅうたん)工場で糸の染め方や織り方など説明してくれたのは、日本で性風俗店を「トルコ風呂」と呼ぶことに抗議し、改称に成功したヌスレット・サンジャクリ氏だ。今はカイセリの大学で日本語を教えているそうだ。現在トルコ絨毯は価格の安定と、織手が悪徳業者に騙(だま)されないよう、役所が原産地証明をつけて委託販売していると言う。 「魔法のじゅうたん」があるというのでつい興味を示したらすっかりマークされてしまった。どう見ても一枚の絨毯なのに、表と裏がまったく違う柄で織り上げられている。ヘレケの王族に献上されていたもので、たった一つの家族にしか受け継がれていない技術だと言う。秘密が外に漏れるのを恐れ、代々長男の嫁にだけ技術の伝承が行われている。 この技術により、世界で絨毯と呼べる芸術品は、トルコとペルシャの産品だけで、あとはたんなる敷物だという。 あー、高い買い物しちゃったけど、トルコの絨毯を極めた気分になった。

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2008/02/25 「異国に魂の避難所をつくる人」

つい先日、フィリピンのボホール島にある「ノバビーチリゾート」というところへ行ってきた。手つかずの自然が残るビーチに建つコテージに宿泊し、一日3本ダイビングを楽しんだ。新米ダイバーには現地のスタッフが付いてくれるので本当に安心。しかもこのリゾートは河村佳明さんという日本人オーナーが設計から運営までを取り仕切っているので、海外にいる不安感もない。河村さんは建築士だったが、海に魅せられ、ご自分で見つけだしたこのビーチにダイビングリゾートを築いた。実に静かで居心地がいい。 話を聞けば、日本人がここに施設を建築するのは至難の業だそうだ。たとえば保全されているビーチのそばには船着き場もコンクリートの柱も建ててはならないといった厳しい決まりがある。豪華なリゾートにするには、ダイバーを乗せるボートを着けられる桟橋も欲しいし、海を見晴らせるビーチレストランも建てたいのに、できない。そこで発送をすべて逆転させ、沖にいるボートまでは「手漕(こ)ぎのいかだ」で岸から送り迎えをする方法をとった。これがなんとも素朴で、かえって人気となった。また、ビーチの崖上には、竹材や流木を使って手作りで地元民家風の木造レストランを築きあげた。これもムード満点だ。台風がくれば吹き飛ぶおそれがあるが、神の助けか、2004年開業以来まだ大風に襲われていない。 まだまだ苦労がつづきそうだが、魂の避難所のようなこの手作りリゾートを気に入る日本人客も着実にふえている。河村さんはセブ島のリゾート設計を頼まれフィリピンに出かけたが、すっかり気に入って自分のリゾートを創ろうと決心した。 そういえば、ニューギニアのウエワクという秘境へ行ったときも、思いもかけず日本人オーナーの川端さんが切りもりするホテルに泊まったことがある。まるで仙人みたいないでたちの川端さんは、人間魚雷「回天」に搭乗を命じられた太平洋戦争の生き残りである。戦後は世界を流れ流れたあげく、潰れかけたホテルの経営を任された。以来22年間、必死に借金を返し、いまは町で一、二をあらそうホテルに育てた。ここへ来る日本人はたいてい川端さんにお世話になる。異国で楽園を築く日本人に会えることほど、うれしい体験はない。

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2008/03/24 「板橋の町工場に育った縁」

昨年、ほぼ半世紀ぶりに東京・板橋第七小学校で同級だった吉村健正くんに再会した。テレビ番組のスタッフが探してくれたのだが、小学生のときにはわからなかった板橋の秘密を教えられた。吉村くんの実家はレンズ工場で、おとうさんが独自の工夫を重ねて精密なレンズを開発したのだった。当時は大学の先生すらその技術に驚いたそうだ。 じつは、アラマタの本家は戦前から板橋区宮本町にあった。父は祖父の工場で働いており、金属加工機を操作する名人だったらしい。海軍が砲弾の部品をわざわざ発注に来たこともある。吉村くんの家も町工場で、おとうさんが「ものづくりの名人」だったわけで、お互いの境遇のつながりを知った。 そして、この一件には板橋区という土地柄が関係していた。板橋は今なお東京でもっとも工場の多い地区のひとつだからだ。様々な業種の工場が寄り集まったので、名人が生まれ、新技術の開発が可能になった。 その夜、吉村くんとは、思いがけなく工場王国・板橋区の昔話で盛り上がった。だが、奇遇はまだつづいた。なんと、非鉄金属をあつかった我が家とレンズづくりの吉村くんの会社とは、以前に取引もあったそうなのだ! 板橋が「ものづくり」を極める町だったからこその奇遇だ。

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2008/04/28 「ダ・ヴィンチを極める」

ダ・ヴィンチコードが世界を席巻したことは記憶に新しいけれど、あれはあくまでもフィクションである。ところが、本物のダヴィンチの暗号を見つけてしまった人がいる。 美術解析学者のマウリッツィオ・セラチーニ博士は30年前、フィレンツェにあるヴェッキオ宮殿の広間を調査中、「五百人広間」を飾るヴァザーリの壁画の中に『CERCA TROVA』(探せよ、さらば見つからん)と書かれた小さな旗を見つけた。それは、500年前に失われたはずのダ・ヴィンチの巨大壁画「アンギアリの戦い」が、まさにここにあるという暗号であった。市当局の許可を受けた博士は、X線やレーダーなどの科学技術を駆使し、ヴァザーリの壁画を損傷することなく、その壁画の後ろに2cmほどのすき間があることを確認。さらに「アンギアリの戦い」の絵の輪郭や、絵の具の色まで解析している。 1505年、ちょうどモナリザと同時期、53歳のダヴィンチは壁画制作に取り掛かった。ミラノ公国との戦いを制したフィレンツェ軍勝利の壁画をという依頼を受け、ダ・ヴィンチはわざわざ現地に出かけて取材している。完成すれば「最後の晩餐」以上の大壁画になるはずだったが、「軍旗の争奪戦」というシーンをほぼ完成したとき、新しい絵の具を定着させるため、たいまつの熱で乾燥させるという実験を試みて失敗。絵の具が溶け出して回復不能なダメージを受けたため、ダ・ヴィンチは続行を断念、フィレンツェを去ったといわれている。 60年後、建築家で画家のジョルジョ・ヴァザーリがこの部屋の大改築を行った際、ダ・ヴィンチの傑作は消失したものとされてきた。ところがダ・ヴィンチ崇拝者であった彼は、改修にあたり、時の権力者たちの目を欺き、その作品を傷つけることなく自分の絵「マルチャーノの戦い」の下に隠したのだ。しかも、緑旗の一枚に謎の言葉を残したことは、ダ・ヴィンチの絵が旗の争奪シーンだったこととも符号する。 現在、セラチーニ博士はイタリア文化省、フィレンツェ市、カリフォルニア大学サンディエゴ校と共同で調査を行っているが、最終的には、ヴァザーリの壁画を外し、ダ・ヴィンチの壁画を取り出すことも考えているという。調査結果はこの秋に発表される予定だ。 ちなみに4月29日(火)午後7時から日本テレビでこれについての特別番組が放送される。特に最後の30分は必見です。

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2008/05/26 「オルゴールを極める」

我が家のオートマタ「ピエロ・エクリバン=文字書きピエロ」を修理していただいたご縁で、「オルゴールの小さな博物館」へよくお邪魔する。数年前不注意で壊してしまったのを、併設の工房の優秀な技術者が治療してくれたのだが、齢100歳をこえる気難しくデリケートなピエロ君は怪我がなおったばかりでなく、なんとみかけも50歳ほど若返った。 この博物館は、1983年に開館した日本初の総合オルゴール博物館で、もともとは館長の名村義人さんが嘉也子夫人とともに趣味でオルゴールを集めていたのを、独り占めするのはもったいないとの思いから、自宅を改造してオープンした。しかし、小さくても世界一といわれるのには理由がある。ヨーロッパのコレクターも驚く「お宝」をいくつも所蔵していて、ハードのみならずソフトも4千曲以上そろえているオルゴール総合情報センターなのである。 開館25周年の今年は、入館者がコレクションを見て、聴いて、触って、鳴らすという体験型の展示を取り入れた。ガイドは館長自らが、予約制で超マニアックなツアーを組み、興味深い話をたっぷりと聞かせてくれる。普段は入れない特別展示室も館長権限で案内してもらえる。話についてこられない初心者にはお金と時間の無駄と豪語するこのツアーは、お茶もついて3500円。

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2008/06/30 「フローズンフルーツを極める」

いよいよ夏になる。楽しみは東海道新幹線を中心に駅売店で販売されるようになる、大好物の「冷凍ミカン」だ。東京駅でも例年この時期から販売されるので、用もないのに、新幹線口から入場して、冷凍ミカンを購入することもある。むかしは一袋に四個はいっていたものだが、最近は三個に減った。でも、まごまごしていると、東京駅では八月をすぎるとなくなってしまう。大阪などの関西圏では冬前まで在庫しているのに、不思議なことだが、その理由はよくわからない。 それほどフローズンフルーツが好きな理由は、凍ったフルーツの冷たさと、味の変化だ。凍らせると味が高級デザートのようになるのだ。生果実とジュースの両方のいいとこ取りとでもいおうか。新幹線の旅には欠かせぬアイテムである。しかし先日、極致といえるフローズンフルーツに出会った、冷凍ドリアンである。通販雑誌で見つけて取り寄せたところ、これがうまかった!あのすさまじいにおいは、冷凍であるため薄められ、果肉もミカンと違い、2、3分でほどよく溶けだす。そこをかぶりつくのだが、実にうまい!においで迷惑をかけず、しかも独特のとろけ具合がたのしめる逸品だった。 最近の冷凍技術の進歩はめざましく、CAS(Cells Alive System)という画期的な技術が開発されたそうだ。従来の冷凍方法は表面と内部に温度差を生じ、氷結晶が細胞を壊し、中の旨みや水分が抜けてしまう。食感が悪い、味が落ちる、冷凍臭がするなどの欠点はそのせいだ。しかし、CASなら素材を一瞬で凍らせるため、細胞が生きたまま冷凍されるので、解凍したときの鮮度は元のままだという。また食品ばかりでなく、健康な親知らずを抜いたとき歯根膜とともに冷凍保存しておけば、将来歯が抜けたとき移植することが可能とのこと。 すごい技術だけれど、冷凍ミカンだけは氷が表面にはりついた今のままがいいなぁ。

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2008/07/28 「カキ氷の夏に「死の文化」を知る」

暑い夏、大好物のカキ氷を自分で作って食べる日々が始まる。今年も6月末ごろから、我が家のカキ氷は開業している。勝海舟の咸臨丸航海日記に、ハワイで牛乳を混ぜたカキ氷、すなわちアイスクリームを試食した記述がある。それによると、ハワイで食べる氷は遠くカムチャツカから運ばれてくるのだそうな。清少納言も「あまずら」をかけた削り氷が大好物で、氷室に保存された氷が千年以上前の高貴な人を楽しませたことがわかる。しかし、後年、氷の神を祀る氷室神社で聞いた話では、氷室の氷の需要は、夏に遺体の腐敗を防ぐことにあったという。実際、夏は死者が多かった。江戸時代でも、夏バテを防ぐ栄養満点の冷たい甘酒を売り歩く人の姿が風物詩であった。 カキ氷を食べた日、たまたま『おくりびと』という、ほんとうに興味深い映画の試写を観た。その招待状が香典の体裁になっているので、ビックリした。映画は9月13日にロードショー公開されるが、納棺師という世に知られぬ職業を扱っている。遺体の着替えや化粧、そしてときにはダメージを受けた部分の修復などを行い、棺に納めて旅立ちの手伝いをする職人さんのことだ。夏はドライアイスの効きが悪くなるので、遺体の皮膚が湿って着物に張り付き、着せ替えが大変だという。納棺師の仕事ぶりは厳粛で、死者の旅装束を整える儀式そのものだった。都内ではあまり見かけないが、ネットで見ると実際にそういう職業がある。映画でも、納棺師の手で生前の面影を取り戻した遺体に対面した遺族が、心から感謝するシーンが出てきた。こういうプロフェッショナルの存在を知って、「死の文化」の重要さを思った。

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2008/08/25 「サンバ・ダイバーの凄腕」

水中カメラの大ベテラン、中村宏治さんといえば、中村姓が非常に多いこの世界でも、真ん丸い体で大きなカメラを担ぐ姿をテレビでもよく見かける。あるテレビ番組にご一緒して以来、水中撮影のことをいろいろコーチしていただいている。先日は、中村さんのホームグラウンドといえる伊豆の富戸へお邪魔して、魚たちの産卵風景を見せていただいた。 私が、ヤマドリという磯魚の産卵を見たい、とお願いすると、「それなら夕方以降だね。漁協に許可取っとくからいらっしゃい」と、引き受けてくださった。でも、知り合いのダイバーに訊くと、ヤマドリの産卵なんて、なかなか見られないよ、とのこと。しかし、暗い海に潜ってマゴマゴする私をガイドした中村さんは、求愛行動をするウツボなどのセクシーなシーンを次々に見せてくれた後、いよいよヤマドリの産卵へ。すぐに一匹のオスがみつかったが、中村さんから「近づくな!」の厳しい指令が。それから20分ほど、中村さんはオスを誘導して、隠れていたメスと出会わせ、ライトを消して「ムードが高まる」のを待つ。ペアが体をくっつけあって急浮上した瞬間、照明があたった。産卵している!私はあわててシャッターを押したが、動きが読めずに撮影失敗。でも、中村さんはすごい写真を撮っている。さすが40年以上も海に潜っている人だ。魚に産卵までさせてしまうなんて!私は尊敬のあまり、「サンバ・ダイバー」とお呼びする。でも、水中で踊るわけじゃありませんよ。

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2008/09/29 「新しい水槽世界の実験」

水中カメラの大ベテラン、中村宏治さんといえば、中村姓が非常に多いこの世界でも、真ん丸い体で大きなカメラを担ぐ姿をテレビでもよく見かける。あるテレビ番組にご一緒して以来、水中撮影のことをいろいろコーチしていただいている。先日は、中村さんのホームグラウンドといえる伊豆の富戸へお邪魔して、魚たちの産卵風景を見せていただいた。 日本の知られざる有名技術のひとつに、水中生物を展示するアクリル水槽がある。パリのトロカデロに新装再オープンした19世紀万博時代の水族館「シネアクア」などを見物しても、水槽の多くは日本の技術が使われている。合成樹脂を用いてどんな形の水槽も作出を可能にした水槽産業だが、この夏も六本木ヒルズで、従来のイメージを一変させる水槽を集めた「スカイ・アクアリウムU」が開催されている(9月28日まで)。 ここに展示された水槽は、もう魚の入れ物ではなく、水を使ったファンタジー・インテリアと呼んでいい。さすがに海水魚の水槽は、ろ過の関係か、水が出来ていなかったが、淡水魚、とくにキンギョの展示水槽はすばらしかった。圧巻は屏風型水槽。水紋のシルエットが涼しげに映り、まるで障子の前で金魚が舞うかのような眺めは、一見の価値がある。夜を連想させる暗い空間に置かれた金魚水槽は、まさに「ジャポニスム」だ。ホテルのフロントにでも置いたら豪華だろうなーー。アート水槽がインテリア装飾の主役になりそうな気配を感じた。 (新野大氏の写真付き記事)

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2008/10/27 「進化するトイレ」

10月1日に国土交通省外局の観光庁が発足した。観光立国の実現を目指して、2007年の訪日外国人旅行者835万人を、2020年には2000万人まで伸ばすのが目標だという。これが実現した場合、外国人旅行者の消費額は、4.3兆円、直接的な雇用効果は39万人と、大きな経済効果をもたらすという。受け入れ体制は大丈夫なのだろうかと心配していたら、テレビで外国人観光客に、日本に来て困ったことは何ですか、というインタビューをやっていた。一番多かったのがトイレの問題だ。勝手に水が流れて困ったとか、スイッチがたくさんありすぎて操作方法がわからない、といったようなことだった。日本語が読める僕ですら、どこを押したものか悩むことがあるのだから無理もない。 それで思い出したのが、アムステルダム空港のトイレだ。男子用便器の中にハエがとまっているので、生きているのか気になって目を近づけてみた。よく見るとそれは本物そっくりに描かれた絵であった。つまり便器を汚されないように、利用者をもう一歩近づけるための細工だったのだ。もう一件、イタリアはレオナルド・ダ・ヴィンチ博物館のあるヴィンチ村でみつけた簡易トイレ。イタリアなのに何故か扉にビッグベンが描かれていて、一見トイレには見えない。町の景観をそこねない工夫が見事だった。

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2008/11/25 「WEBチェックインの落とし穴」

世の中便利になったものだ。飛行機に乗るのに、窓口に並んでチェックインしなくてよい時代になった。ICチップつきのマイレージカードを保安検査場でピッとやるだけで、そのまま飛行機に乗れる。その日は出発45分前に空港に到着。15分前までに手荷物検査をうければよい。と、そこまではよかったのだが、セキュリティチェックの列に並んだとたん、ふと、帰りの便は何時だったか聞いてこなかったことに気がついた。確かめようにも、カード1枚で事足りるとのことでチケットも旅程表も持っていない。自分では確かめられないのだ。まだ時間があるので調べることにしたが、自動チェックイン機ではわからず、結局、何のことはない、チェックインカウンターに並んで調べてもらう羽目になった。 搭乗ゲートに1番近い手荷物検査の列に並びなおしたら、出発の30分前。やっと自分の番になって、機械にピっとやったところが反応がない。この列はスターフライヤーの手荷物検査用でJALは通れないという。おい、おい! 確かにスターフライヤーとは書いてあるが、スターフライヤー専用とは書いてないし、第一ターミナル全体がJAL用だとばかり思っていたのだ。またまた別の列に並んだら、もう15分前で、これがなかなか進まない。搭乗ゲートまで全力ダッシュし、なんとか乗り遅れずにすんだ。やれやれ。 ところが、落とし穴はこれだけではなかった。帰りの長崎空港で、手荷物検査でピッとやると搭乗口の案内の紙が出てくる。ゲート番号を確認して捨てた。搭乗案内が始まって改札でまたピッとやると、今度は座席番号が書かれた搭乗券が出てくる…はずだった。係員がさっさと行くようにうながすので、座席の番号は? と聞くと、保安検査のときに出てきた紙に書いてあるでしょ、とのこと。羽田では、色も形も全く同じ用紙に、検査場では搭乗ゲートの案内だけが印刷され、改札では座席番号を書いた搭乗券がでてきた。結局、まるめてカバンのどこかに突っ込んだ搭乗券を探す憂き目になったが、トイレのゴミ箱に捨てなくてよかった。 というわけで、WEBチェックインのシステムは、まだユーザーにやりやすくはなっていない。極めてほしい。先進技術についていけない人々へのセーフティネットは、常に用意しておいてもらえるだろうか。

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2008/12/26 「海外ネットオークションはすごいことに…」

このところの急激な円高傾向を活用すべく、わたしも海外の美術・骨董や古書のオークションに参加することが多くなった。海外オークションには、もう25年ちかくも参加しているが、サザビーズやクリスティーズなどの有名オークションハウスか、あるいは日本国内の主催ものに限られていた。ところが、最近はインターネットを使用して、海外の小規模なオークションにも、気軽に参加できるようになった。こういうところでは、意外に掘り出し物をゲットできる可能性があるのだ。 わたしがここのところ熱中しているオークションサイトは、イギリスで古書を扱う「ブルームスベリ・オークションBloomsbury auctions」と、アメリカでコミックの原画や挿絵のオリジナルを出品する「ヘリテージ・オークションHeritage auctions」だ。最近、ブルームスベリでは、刊行までに2百年以上かかった、キャプテン・クック第1次航海「バンクス植物図鑑」を、かなり安く落札できた。さらにスリリングだったのは、「ヘリテージ」で、なんと、アメリカで行われている競り会場の現場にネットで参加できてしまうのだ。出品される一点一点ごとに対し、刻々と上がっていく入札金額が表示される。そして、競売人のメッセージ「さぁ、締め切りますよ」や「入札してください、今500ドルですよ!」といった言葉も表示される。それに押されて、思わず、ビッド(入札)のボタンを押してしまう。まさに、ライブである。ディズニーのアニメ用原画セルなどを狙うが、さすがに高値で、まだ落札できていない。それにしても、遠くアメリカで現に行われているオークションに、日本にいながら参加できる時代となったことが、おそろしい。当分、一睡もせずに深夜のビッドがつづくことになりそうだ。

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2009/01/26 「杉浦千里の博物画」

2009年3月17日から23日まで、横浜市神奈川区民文化センターの「かなっくホール」で「杉浦千里展」が開かれる。8年前に39歳の若さで亡くなった杉浦さんは、ウルトラマンシリーズのキャラクターデザイナーとして知られるが、じつは本格的な博物画の作者でもあった。晩年は部屋にこもって、甲殻類の鬼気せまる細密画制作に没頭していた。わたしは縁あって、ご遺族にお目にかかり、杉浦さんの博物画を直接見る機会を得たのだが、ほとんど独学で描いたという動物の彩色画には、言葉にならないほど驚嘆させられた。 博物画は主に図鑑に用いられるが、極端な正確さがもとめられる。魚の鱗(うろこ)一枚、ひれの条一本も、実物どおりに描かねばならないので、普通は大学や博物館の研究者の指導を受けながら仕事をしなければならない。しかし、杉浦さんはそれを自力で極めようとした。最初は出版社から手厳しくダメ出しをされ、悔し涙にくれたこともあったという。それでも、粘り強く制作をつづけ、甲殻類という魅力的な生物への愛着を力として、おそらく大英博物館やスミソニアンの博物絵師に匹敵するほどの完成度に到達するに至った。近年ではほぼ消滅したと思われる博物画の新しい星が、さぁこれから煌(きらめ)こうとした矢先、杉浦さんは急逝された。大きな損失といわねばならない。 残念なことに、わたしは杉浦さんとは生前に会ったことがない。博物画の傑作群が、出版などを通じて一般の目に触れることが少なかったから? いや、実をいうと、細密画の極致ともいえる博物画のすごさは、原画を見なければ到底伝わるものではない。そして、やっと、その本領が眺められる原画展示会が開かれることになった。初めて展示される作品も多い。わたしはルーペを持参して、会場で「最後の博物画」をじっくりと楽しみたい。

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2009/02/23 「水中観察の達人に遭う」

最近はダイビングに夢中で、時間をみつけては、あちこちの海に潜っている。おもしろいことに、アジアの多くのダイビング・スポットには、伝説的な日本人ダイバーが存在しており、しばしば「生きた伝説」に出会えるのが、この世界の醍醐味だ。海域全体を毎日潜って調査し、四季おりおりに見せる海中景観の変化や生物の生態行動を知り尽くしている。そういう達人がいるから、わたしたち素人ダイバーが「ピグミーシーホースが見たい」などと無理な要求をぶつけても、即座に案内してもらえるわけだ。ちなみに、ピグミーシーホースは大きさ1cmほどの虫眼鏡で見ないと分からないほど小さなタツノオトシゴの仲間だが、ガイドさんはほんとに毎日虫眼鏡を持ってこの珍種を捜索している。 フィリピンのセブ島、マクタンでガイドしてもらった「yoshiさん」は、ハゼの新種をたくさん発見した伝説の名人だ。海に出たときのガイドはもちろんのこと、夕食はお手製のメンチカツやパスタを堪能させてもらい、そのあとは貴重な映像の映写大会も開いてくれる。聞く話、見る映像、どれもが専門研究家も知らないような、貴重な情報ばかり。わたしが驚嘆したのは、サンゴを食い荒らすので問題になっているオニヒトデを一飲みにしてしまうイソギンチャクの情報だった! 証拠のムービーまであるという。 それから、海中にも「クモの巣」が張ってあるという事実を、ご存じだろうか。どんな生物がこの透明な網を張り、どんな犠牲が引っかかるのか、yoshiさんは今、その観察をつづけているという。わたしも海の中を捜索したら、たしかに、クモの巣にそっくりの透明な網が仕掛けられているのを発見できた。もしかして、これかしらんと、写真を一枚撮った。

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2009/03/16 「豪華客船の知られざるサポーター」

ご縁があって、飛鳥Uに乗船する機会を得た。過去「クルーズシップ・オブ・ザ・イヤー」など数々の栄冠に輝く日本最大の豪華客船には、旅のつわものとも言うべきサポーターがいる。アルバトロス・ソサエティというヘビーリピーターの会は、飛鳥、飛鳥U通算で累計500泊以上か、累計50回以上乗船などが条件で、270人ほどいる会員の中にはライバル他社の船には一切のらないという筋金入りの飛鳥ファンもいる。愛するがゆえかその目は厳しいが、素晴らしいアイデアの提供者でもある。世界一周クルーズの提唱者のひとりでもあった村上幸人(ゆきと)さんは、飛鳥U就航に際して各部屋に洗浄便座の設置を提言した。これが実現すれば世界で初めての試みだ。早朝一斉に使用する電力不足をどう補うかが大きな課題であったが、深夜電力を蓄積することで見事に解決した。 郵船クルーズ会長松平誠さんは、ときどき夫人の美江さんを伴って船内視察に出掛ける。クルーズのクォリティーは、寄港地アクティビティ、食事、エンターテインメントなどとともに、客室を含む船内施設の快適性や、人的サービスに支えられている。顧客の満足を得るためには隅々までの気配りが必要だが、実際船客として乗船してみないことにはその使い勝手はわからないものだ。そこで、夫人の主婦目線がいきるのだという。そんな些細(ささい)なと思われるようなことまで行き届いてこその、日本一なのである。

<私のお気に入り> 「水中カメラ用乾燥剤」 最近、ダイビングの趣味をもったおかげで、デジタルカメラによる水中撮影が楽しくなった。しかし、いろいろ使ううちに問題点も気づいた。カメラを防水のハウジングケースに入れて水中に持ち込むと、カメラが電気を使う関係で熱を発生させる。この熱がハウジングケース内部に曇りを発生させてしまい、撮影ができなくなる。おまけに、各カメラについてくるのは、専用の乾燥剤は、形がまちまち。しかし、「シート状乾燥剤」が、型番違いで互換性がなくなるIT製品のわずらわしさを解消してくれた。わたしは「ハクバ写真産業株式会社」製の「ハイシートドライハーフ」(3シート入り、680円)を愛用している。乾燥剤が厚紙状になっているので、いかような形にも切り分けられ、現場では指だけでも簡単に千切れる。これひとつあれば、水中カメラを複数持っていっても、安心だ。こういう融通の利く付属商品を、もっともっと工夫してほしいものだ。

(注:この回より朝日のネットショップと連動した「私のお気に入り」の  コーナーがはじまった)

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2009/04/13 「石文化の島の奇石たち」

済州島に行ってきた。伝説の取材だったが、いちばん興味深かったのは、「石」だ。この島は韓国が誇る世界自然遺産だが、さすがは火山島らしく、その主要な特色は溶岩洞窟や奇怪なかたちの玄武岩である。天然の洞窟もたくさんあり、戦時中に日本軍が使った地下要塞や防空壕もあちこちに残っている。防邪塔という小さな燈台みたいな石積みは、邪気(風)を防ぐお守りになっている。有名な「石のおじいさん」ことトルハルバンは、イースター島のモアイそっくりの石像だが、これも本土で村の入り口に立てられた木製の魔よけ柱「チャンスン」の済州島バージョンだという。 済州島には「三多」といって、いつでもどこでも普通に出くわすものが「風と女と石」の三つなのだそうだ。それくらい多い石なのだが、済州島の人はこれをじつにうまく生活に取り入れている。まず、済州島はどこへ行っても石を積み上げた垣を見る。畑や敷地の境を示す仕切りだ。一見すると隙間だらけで、無造作に積み上げたようだが、石と石がたくみに噛みあって、済州島名物の風が当たっても隙間から抜けるので崩れない。家も石作りが多いのだ。 つぎが、天然の奇石を人形に見立てた「五百将軍」で、かつては村々のご神体だった。ちょうど、素朴な五百羅漢の石像のように、祠などに置いてある。奇石、奇岩が多いのは、火山のせいなのだが、これを生活と信仰と景観にうまく取り込んでいる。その極致がごく最近オープンした「済州石文化公園」だ。広さ100万坪もある敷地に、ありとあらゆる石が並んでおり、トルハルバンが林立する一画などは、イースター島のモアイ群像にまぎれこんだかのような不思議さがある。これだけ石文化を満喫させる公園は、他に知らない。

<私のお気に入り> 「Soup Stock Tokyoの「東京ボルシチ」」 海外に出かける機会が多い。航空会社にこだわりはないが、成田空港ターミナルは第1に限る。Soup Stock Tokyoがあるからだ。ここは「無添加・食べるスープ」をコンセプトに、常時8種類のスープが味わえるスープのファストフード店で、僕は「東京ボルシチ」にはまっている。都内の自宅から成田まで約2時間、チェックインを済ませてから機内食にありつけるまで更に2時間ほどかかる。しかも最近はビジネスクラスでもたいした食事は出てこない。Soup Stock Tokyoでボルシチを食べて、寿司岩で助六寿司を買って飛行機に乗り込むのが習慣になった。逆に帰国時にも、荷物を持ったまま食事をするなら第1ターミナルが便利。第2ターミナルは到着旅客が食事をするという発想がないのか、レストラン街までスーツケースを運ぶのが大変だ。荷物を持て余し、1時間足らずの食事のために、1日分の手荷物預かり料を払うはめになったこともある。 ともあれ、うれしいことにこの「東京ボルシチ」は通信販売で買えるようになった。

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2009/05/11 「満月の夜と満開の桜」

2009年春の桜は、咲き始めから散るまでに三週間を要した。途中、肌寒い日がつづいたので、つぼみが開かなかったためらしい。しかし、長い時間にわたり花が楽しめたので、今年は「ある実験」をしようと思い立った。以前、京都で祇園の桜の花守をしている佐野藤右衛門さんに桜に関する話を聞いたことがある。そのとき、いちばん記憶に残ったのが、「桜は満月の夜に満開になる」という謎めいた言葉だった。藤右衛門さんによれば、桜は満開になる時期を計算しており、それはおおよそ月の満ち欠けとも関連しているのだそうな。その絶頂のタイミングは、満月に合わせてある。満月と満開! あまりにもできすぎた話だと思ったが、そのあとのフォローが胸にジンときた。 「たとえばね、知ってると思うが、西行は桜の名所、吉野山に庵を建てて、住んだ。西行の歌を思い出してご覧よ。西行は、いつ、死にたいと願ったのかな? ねがはくは 花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ、ってね。如月の望月といえば二月十五日、新暦だと三月末あたりの満月の夜だ。まさに満開の桜の下、お釈迦様が亡くなられた二月十五日と重なるんだが、これはただお釈迦様の命日に死にたかっただけじゃないんだよ。西行は知っていたんだね。山の桜は満月をめざして満開の日を定めるってね。だから、この歌は、満月の夜の満開の桜なんだ。満開の桜の下で死ぬ計画を立てた。すごいのはね、西行は願ったとおり、二月十六日に死んだんだよ」 ゾクッとくるような話だった。で、ほんとに桜は満月をめざして満開になるかどうか、確認してみようと思った。東京都内の桜が咲き誇っている日、ちょうど夜の時間があいたので、あちこち桜の名所を回ってみた。不運にも、山桜はあまりみつからなかったが、染井吉野のほうはどこも満開。で、写真を撮り始めると、出てました! 花のはざまに、くっきり、まんまるいお月様が。桜を愛した西行も、桜を守る花守の藤右衛門さんも、やはり達人だった。あの人たちは桜のことをほんとうに知っていたのだ。その夜は、ほんとうに、極上の満月と満開とが展開していた。夜桜は、満月と一緒に眺めるのが、極致だ。花見のお客さんたちも、気づいてくれたかしら。

<私のお気に入り> 「八木長の「かつおせんべい」」 日本橋界隈を取材していたら、OLがかつお節の袋を抱えて歩いているのが気になった。それも1人、2人ではないので調べてみたら、抱えていたのはかつお節ではなく、せんべいだったのだ。創業270年、鰹節・乾物の日本橋・八木長本店が本気でつくったというだけあって、良質の「焼津産かつおぶし」がたっぷり入っており、じつに美味い。パリッと軽い薄焼きせんべいで、一枚一枚ていねいに焼いた手作り感がたまらない。ピリ辛の唐辛子もあとを引く。超甘党でせんべいにはあまり興味がなかったアラマタの定番になった。

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2009/06/15 「シリーズ作品の「一気鑑賞」で新発見を」

最近、仕事上の必要があって、ルーカス&スピルバーグの人気シリーズ「インディアナ・ジョーンズ」四作品を一気に観た。あまりに長時間を要するので、字幕をつけて早送りで鑑賞したのだが、通しで眺めてみると、単発ではどの作品も何度か観たはずなのに、いちいち新発見があった。 すでにマニアの間では有名な話かもしれないが、たとえば、第一作のラストに、「失われたアーク」が極秘保管されるだだっぴろい倉庫の情景が出てくる。一気に第四作まで行ったとき、アレッ、と思った。第四作は、例の「エリア51」に保管されている宇宙人の「死体」を巡る争いなのだが、冒頭にだだっぴろい倉庫が映った。この倉庫、さっき観たばかりの第一作に出てきた倉庫ではないか! とすると、ここには「失われたアーク」もあるわけだ。第一作と第四作は、制作年に二十年以上もの開きがあるのに、ちゃんとつながっていたのだ。こういう発見は、一気にシリーズを眺めたときでないと気づかない。おもしろくなって、メモを取りながら観た。じつに多くのトリヴィアな発見ができた。映画鑑賞の達人は、こうやって細部を記憶しながら観ているのか、と考えると、空恐ろしくなった。 かつて映画斜陽の1970年代に、映画館がオールナイト興行というのをさかんに企画し、シリーズ物を一気に上映していた。わたしは『野良猫ロック』シリーズとか『女囚サソリ』シリーズ(要するに梶芽衣子が観たかったのだが)の一挙上映を観に通った経験があるが、一晩上映しているので半分眠っていたらしく、そうした新鮮な発見をした記憶がない。自宅で映画が自由に観られるようになり、映画鑑賞の達人と同じ発見が簡単にできるようになった、と考えていいのか悪いのか、とにかく興味深い体験だった。

<私のお気に入り> 「グラフト・シャットフィルター」 マスクが街から消えた! 新型インフルエンザの日本上陸で、毎朝の検温と、時差通勤、マスク着用を指導している企業も多いという。僕は生来のんきであまり気にしていなかったのだが、花粉症でくしゃみをするたび、まわりの視線が厳しくなってきた。予防というより、咳、くしゃみのマナーとして、マスクが必要になったのだ。 薬局にいってみるとマスク入荷未定で、残っているのはガーゼのマスクばかり。ガーゼではウィルスを通してしまい、予防効果がないそうだ。そんなとき見つけたのが、「グラフト・シャットフィルター」だ。ヨード製剤を含ませた不織布をガーゼのマスクに挟むとウィルスを防いでくれて、効果は10日間持続するというスグレもの。単に挟み込むだけで、ウイルス予防に役立たないとされてきたガーゼマスクの面目も立つというものだ。しかもガーゼマスクは洗って何度も使えるぞ!! 新型インフルエンザ騒動も鎮静化の兆しだが、秋からの流行には備えておきたい。

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2009/07/13 「ドイツの古いソーセージ屋さん」

この六月に、レンタカーを乗り回して旧東ドイツを中心に探検の旅に出かけた。バイエルン州(旧西ドイツ)の東にあるドナウ川沿いの古都レーゲンスブルクは、街自体が世界遺産だったので、一泊し、夕方に、ドイツに現存する最古の石橋を見物したついでに、橋の下にあるソーセージ屋「ヒストリッシェ ブルストキュッヘ Historische Wurstkuche」というところで夕ごはんを食べた。川辺の磯どこの上にテーブルを出した素朴なお店だ。そもそもドイツ旅行では美味しい食事は無理、と諦めていたので、期待もしなかった。 テーブルにつくと、すぐにパンが来て、おばさんに飲み物とソーセージを注文。ソーセージは六本注文したが、来て見ると案外小ぶりで、一人三本くらいは食べられる。店の中では炭火でソーセージを焼いている。まずソーセージをパンに挿み、備え付けのマスタードをドンとかけて頬張ったところ、うまーい! 焼いたソーセージのうまさに加え、まるで擂り下ろしたリンゴを混ぜ込んだかのような甘酸っぱい味にしびれた。あっという間に、二人で六本平らげ、自家製マスタードをカラッポにした。あまりにもうまかったので、日本の知人にもお裾分けしたいと思い、おばさんに、このマスタードをわけてもらえないか、と頼んだら、店の中へ行け、と教えてくれた。熱い炭火のそばでソーセージを焼いていたインド人風の青年が、小瓶にはいった土産用のマスタードを出してくれた。一瓶が1ユーロ(100ml)、あまりに安いので、在庫していた瓶をぜんぶ買った! しかし、あとでもういちど驚かされた。この店はソーセージ店では世界最古を誇る老舗だったのだ。なんでもこの石橋が建設された際に労働者の食事場となったところが、1320年に小さな食堂として開業したものという。以来、ソーセージを出しつづけ、19世紀には経営主体が変わったらしいが、老舗の味は健在なのだ。この店を知ったおかげで、ドイツの食べものの印象が変わった。またレーゲンスブルクへ行きたくなる美味しさだった。

<私のお気に入り> 「GEOXの靴」 2年ほど前、テレビのロケでイタリアに出かけた。履いていった靴があわず、たまらず駆け込んだ靴屋がGEOXだった。その場で履き替えた靴が快適でスタッフに見せると、この靴は靴底に工夫があるんです、と教えてくれた。裏返して見ると、無数の小さな穴が開いている。雨の日は履けないのかと心配になったが、こんなに穴だらけなのに、熱と湿気だけを通して、水は一滴も通さないそうだ。なんでも創業者がスニーカーの靴内のムレに閉口して開発したシートには、1平方センチメートル当たり10億40万個の気孔が開けられているという。確かにムレない。デザインもコンフォートシューズとは思えないスマートさで、ヨーロッパに行くといつも買い込んでいたのだが、最近日本にも支店ができたそうだ。水虫の方には、特にオススメ。

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2009/08/17 「「日食ハンター」デビュー!?」

縁あって北硫黄島近海の飛鳥II船上で日食観察の機会を得た。好天に恵まれ、みごとな皆既日食を堪能した。聞けば日本列島はあいにくの曇天で、大本命の悪石島も嵐だったとか。晴れ間を探して移動できる船での観察は理にかなっているらしい。幸運だった。あまりに感動したので次回を調べてみたら、日本で見られるのは26年後なので、これはちと待てない。海外では、来年7月にイースター島やクック諸島で見られるらしい。イースター島は小さな島で大勢受け入れるのは無理だろうから、タヒチ辺りからのクルーズはどうだろう、などと船内で話していたら、もう十数年日食を追いかけて旅をしているという人にあった。今回は世界一周クルーズの最終区間ホノルル?横浜だけ日食観察のため乗船したという。2006年のエジプトや1999年のヨーロッパへも行ったそうだ。ヨーロッパのときはドイツに行ったけれど天気に恵まれなかったので、以来晴天率を計算して予定を組んでいるとか。カメラも自動追尾の赤道儀をつけた本格派だから、撮影はカメラにまかせて、自分はゆったりと空を見上げていればいい。コンパクトデジカメで手ブレして、皆既日食がネコ目になってしまった僕とは大違いの優雅さだ。帰国したらすぐ来年の皆既日食ツアーに申し込むそうだ。こういう大先輩に随行したくなる。

<私のお気に入り> 「温州みかん100%ジュース「くまのそだち」」 温州みかんのジュースがこんなに美味しいとは知らなかった。甘みが濃く、オレンジジュースより酸味が少ない。おいしさの秘密は、みかんの栽培方法にあるという。みかん園全体に真っ白い透湿性のシートを敷き地中の水分を逃がし、同時に雨水が浸み込まないようにする。白いシートは太陽光を反射するので、葉の裏まで光が行き届く。シートの下には点滴かん水ホースを張り巡らせて、水のコントロールをする。トマト栽培やメロン栽培と同じく、水不足のストレスを与えることで、糖分が増すのだそうだ。僕は、1リットル瓶も一気飲みしてしまうほどのお気に入り。

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2009/09/14 「純氷の贈りもの」

今年の夏、「純氷」というものに巡りあった。 家庭の冷蔵庫内で作れるような、ただの氷ではない。不純物をほとんど含まない、硬くて透明な氷なのだ。天然氷の場合でいうと、海面を漂う流氷だとか、湧(わ)き水が流れる清流に張る氷は、純氷に近い。これを人工でつくるのだが、良質の水をエアレーション(空気で攪拌(かくはん))しながら不純物を排除し、長いときは48時間もかけてゆっくりと凍らせる。溶けにくくて、しかも透明な氷ができる。 日本で初めて事業化に成功した「函館氷」は、中川嘉兵衛という横浜商人が、ローマ字で有名なヘボンのアドバイスを受けて、苦難の末に生みだした氷だ。土方歳三たちが官軍と戦っていた函館戦争のさなか、五稜郭の堀を流れる川で純氷に近い天然氷を切りだし、横浜まで輸送することに成功した。横浜発祥という国産アイスクリームにも、これが使われたそうだ。 この純氷、食べてもおいしい。オンザロックに用いると、溶けにくいのでお酒が薄まりにくい。日本橋蛎殻町にある老舗(しにせ)、手島商店では、昔ながらの製法で純氷を今も製造している。社長さんに氷の話をいろいろうかがったとき、「こういう氷は、高級なバーとか料亭でしか味わえないですか?」と尋ねてみた。そうしたら、「コンビニでも買えるのがあります」と、うれしいご返事。教えていただいたのが、「ミニストップ」というコンビニで販売している「ハロハロ」だった。 「ハロハロ」だって! わたしは驚いた。ハロハロとは、フィリピンで売られているフルーツがたっぷりはいった「かき氷」のことだ。色鮮やかなハロハロは大好物なのである。さっそくコンビニへ飛んでいき、溶けにくい純氷で作ったハロハロを十二分に堪能した。

<私のお気に入り> 「ケシコム(個人情報保護スタンプ)」 届けられた封書やハガキの宛名・住所などの上にスタンプするだけで、個人情報が守られる。ほんまかいなと思ったが、スタンプの特殊パターンに撹乱されて文字の判別がつきにくくなる。ハサミやシュレッダーのように完全には削除されないので、悪意を持った不法行為には対抗できないけれど、手軽なのと、紙類のリサイクルにまわせるので気に入って使っている。

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2009/10/13 「介護付老人ホームを探す」

義父が老人ホームを探すことになった。肺が悪いので、いつも酸素発生機が必要なのと、義母がすでに亡くなっているから子どもたちに面倒をかけたくない、というのが理由であった。それまで同居していた息子が近くにいるほうが安心だから、自宅近くの施設を探すことになった。条件は、まず介護サービスの十分な施設、次が入居にかかる費用、その次に暮らしやすさ、の順である。 しかし、なかなか条件に合うところがみつからない。われわれ家族は、このあたりでいいんじゃないか、と思っても、当人はなかなかウンといわない。部屋の温度設定や、空調の向き、窓の配置、部屋のかたちなど、思いもかけないことでオーケーが出ないのだ。結局、四個所あたってダメ、五個所目でようやく体験入居してみようか、といってくれた。しかし、入居してみると、新入りの出身校やキャリアを聞いてランキングする居住者がいたり、部屋に押しかけて根掘り葉掘り身上調査を受けたりと気が休まらず、契約に至らなかった。六軒目はすこし高価な施設を見に行って契約したが、ヘルパーさんたちと気が合わず、六カ月で退去するハメになった。 本人は終の住処にするのだから、簡単に妥協ができない。しかし、その間に病状が進行した。最後に選んだのは、自宅に通ってきていた訪問看護士さんが就職した施設だった。気心が知れている人の看護が受けられるので落ち着き、得意の油絵をたくさん描いた。 そして入居して一年半ののち、義父は亡くなった。最後の力を振り絞って探し出した施設で過ごした日々は、幸せだったようだ。わたしたちは、残された絵を額装し、もらってくれる知り合いに贈る手配をしている。

<私のお気に入り> 「「あん梅」のひもの」 超大物司会者にこっそり教えてもらった美味しいひものが食べられる店、麻布十番「あん梅」。凝り性の御主人が、最高級の魚と天然塩をつかって天日で干している。刺身でも食べられる新鮮な魚、しかも釣りものだけを、麻布十番の自社ビルの屋上で干す。魚と塩と水以外の添加物は一切使わない。少し高いけれど、金目鯛のひものがおすすめ。

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2009/11/16 「朝ごはんで江戸の味めぐり」

創業百年を越す老舗がひしめく日本橋界隈、ここでは今も江戸の味を求めることができる。本枯れ鰹節をひろめた「にんべん」、明治天皇の京都下りの土産に選ばれた「山本海苔」、はんぺんの「神茂」などなど、これら江戸の味を豪華に、しかも少しずつ並べて食べられないものか、と思う人は多いはず。だが、そんな夢が実現した。箱崎にあるロイヤルパークホテル内、「日本料理 源氏香」で出している「江戸の朝がゆ」だ。価格も5500円と、豪華なのだが、江戸野菜もたっぷり取り入れたメニューがすごい。 先日さっそく、予約をいれて試食しに行った。神茂のはんぺんとかまぼこ、にんべんのまぐろ角煮、山本海苔の極上岩海苔の佃煮、鮒佐のフォアグラ昆布巻き、濃い味がついた「鳥近」の玉子焼き、「東京にいたか屋」のべったら漬け。どれから手を付けようかと迷うほどたくさんの江戸名物をちょっとずつ頂いて、江戸野菜をいれた朝がゆで締める。お茶は、「森乃園」がこのメニューに合わせてスペシャルブレンドしたほうじ茶。関西とは異なる、濃密な江戸の味わいは、朝食というよりも「朝の和食ディナー」といった満足感がある。まさに食感極まれり。

<私のお気に入り> 「BABBIのWAFERINI(バビのワッフェリーニ)」 おみやげにイタリアで人気だというウエハースをいただいた。アイスクリームの横についている“アレ”ね、という認識しかなかったが、意外や、じつに美味しくて10分で一気食いしてしまった。蜂の巣状のパリパリの二枚の短冊の間に、チョコレートやバニラクリームが入っているのは昔食べたのと変わらない。しかし、ウエハース自体はもっと薄く繊細になって、中のクリームもなめらかで濃厚なので一体感がある。本場のマカロンを初めて食べたときの驚きを思い出した。味は5種類、僕は赤い箱のヘーゼルナッツがお気に入り。

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2009/12/14 「名古屋の駄菓子問屋街」

名古屋の習慣で全国的に有名なのは、「名古屋式結婚式」だ。とにかく派手で豪華。披露宴には数百人ものお客さんが招待されるという。また、花嫁さんの親族は「菓子撒き」といって、近所じゅうに祝いのお菓子を配る。昔は二階から、ほんとうに菓子を撒いたそうだ。そんな「菓子撒き」需要にしっかりと応えたのが、名古屋市内、西区新道周辺にずらりと並んだ駄菓子問屋なのだ。なんでも、その昔、名古屋城が築城されるとき、働く人々がほしがる糖分を供給するために菓子売りが集まったことが起源らしい。昭和の最盛期には数百軒も問屋があったそうで、大きな荷物を担いだ「かんかん部隊」が近郊からここに駄菓子を買い出しにくるという風景も見られた。 わたしは東京の子どもだったが、駄菓子屋に毎日通い、近所にやってくる紙芝居を欠かさずに見た。それが最大の楽しみだったので、今でも駄菓子屋を見ると心がときめく。最近、月に二度、名古屋へ出かける仕事ができたので、噂(うわさ)に聞いた日本一の駄菓子問屋街を見物に行ってみた。お店の張り紙に、いきなり「嫁入用」と書いてあり、今でも「菓子撒き」が健在であることも確認できた。そして、どの店もお菓子の大洪水だ。膨大な種類のお菓子が、あるものはバラで、あるものはパッケージされて、とにかく何でもそろっていて、唖然(あぜん)とする。それに安いのだ! ここは問屋街だが小売もしてくれるので、子供たちも出入りする。こんなに楽しい街があるかぎり、われらが駄菓子文化の火は消えない。

<私のお気に入り> 「カネストロ 「リゾットの素」」 ローマの自然食スーパーマーケット・カネストロの「リゾットの素」。かさばらないし軽くてよいから、海外出張のみやげにとローマ空港で1ダースほど買い込んだ。夜中に原稿の筆が止まったとき、気分転換に作ってみた。鍋に固形スープと水とこのリゾットの素を入れて、18分間ぐつぐつ煮るだけ。本格的に作るにはいろいろ手順があるらしいが、これはすでに味がついているので、たまにかき混ぜれば僕にも簡単にできる。あまりに美味しくて、結局誰にも渡さず一人で食べてしまった。どこか、日本でも売っていないか今探しているところ。

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2010/01/18 「百年前の開府記念祭」

今年は名古屋市の開府四百年記念イヤーだ。私は記念祭イベントの企画づくりに参加したのだが、気になったのが明治四十三年に行われた開府三百年記念祭だった。名古屋の街の近代化は、そのときに大きく進展した。では、今度の四百年祭には何を進展させればいいのか。そのヒントを手にいれるためにも、百年前の記念祭がどういうものであったかを知りたかった。ところが、いろいろなイベントは市民団体が企画実行したこともあって、残された資料が少ないのだ。 こういうときは、覚悟を決めて、古い新聞記事をさがすことになる。なにせ古く、しかも厖大な資料なので、この作業は図書館通いとならざるを得ない。ところが今回は、朝日新聞が立ち上げ4月からサービスを開始する有料記事検索「明治・大正紙面データベース」を試用できた。インターネットのおかげで、自宅のパソコンから気軽に記事をさがせるのだ。このデータベースは大阪版と東京版が両方はいっているから、名古屋の記事は大阪版でみつけることができた。この式典は、関西府県連合共進会と抱き合わせで行われたことをはじめ、行事の詳しい記事が連日掲載されている。市長が奏上した祭文まで全文が載っている。四月の記念式典は、雨の降った翌朝、晴れ渡った空、満開の桜の下で行われたことまで、わかる。一方、六月の祝賀会は記事がほとんどみつからない。理由はすぐにわかった。六月は日英博覧会という国際的なイベントと重なり、記事のスペースがそっちに奪われたためだった。まさに新聞ならではの発見だ。

<私のお気に入り> 「Panasonic LEDライト」 我が家のLDKの照明は60W電球12個に40Wの蛍光灯一本。テレビをつけたまま電子レンジを使用すると必ずブレーカーが落ちる。電磁調理器ですき焼きなどしようものなら、照明を半分に落とし、薄暗い中でびくびくしながらの夕食だ。LED電球がいいというので買ってみた。消費電力は1/5?1/10、心配されていた明るさも十分だ。テレビを見ながらすき焼きをしても大丈夫だし、ペンダントライトの熱も気にならない。ただし、値段がちと高くて60wタイプで3980円。各社色合いや消費電力、調光器対応などスペックが違うので、よく比較しての購入をお奨めする。電気代がどれくらい安くなるのか楽しみだなぁ。

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2010/02/08 「北斎の娘は「光」を極めた」

テレビ番組の収録で、幸運にも、葛飾北斎の娘、阿栄の作とされる数少ない作品を観る機会に恵まれた。阿栄の画号は応為といい、父の北斎からいつも、オーイ、オーイと呼ばれたことにちなむという。こういう洒落たネーミングからもわかるが、なかなかの男まさり。北斎工房の要だったかもしれない。阿栄は晩年まで北斎の仕事を手伝ったので、かなりの作品を残しているはずだが、これまでは無視されてきた。しかし、愛知県小牧市のメナード美術館にある『夜桜美人図』、東京の大田記念美術館にある『吉原格子先の図』に接して、ほんとうに仰天した。どちらも、まるで幻燈のような光と影の効果を表現した夜景図であり、レンブラントを知っていたのではないか、と疑いたくなるようなすばらしさだ。こういうスポットライトじみた「光」の使い方は、日本人ばなれした画風を持つ名人・北斎にも、ほとんど見られない。しかも、『吉原格子先の図』では、提灯の一部に「応」と「為」の文字を入れ、さりげなく自分の作品であることを表明している。こういうだまし絵みたいな趣向も、おもしろい。 江戸期は、たしかに女流の浮世絵作家は少なかったらしいし、記録も伝わっていない。だが、父親の影に隠れて絵を描いた阿栄に価値を見出したオランダ民族学博物館では、同館で所蔵する肉筆浮世絵を再調査し、阿栄の作品と推定できる作品を何点も探し出した。それも拝見したが、女性の描き方がほんとうに丁寧なのだ。阿栄の絵を、もっと見たい。もっと知りたい。番組作りに参加して、心からそう思った。

<私のお気に入り> 「にんべん「海鮮炊き込みご飯の素」」

このところ仕事に追われ、徹夜の毎日だが、もはや老人なので深夜に眠り込むことが多くなった。意識を保つためには、ひたすら食べるしかない。毎晩、チョコレート三枚、ラーメン一杯は、軽く消費する。おかげで、毎月1キロずつ体重がふえており、医者の食事指導を受けるハメになった。以来、ご飯はお茶漬け一杯にしているが、飽きる。 ところが最近、かんたんに作れる極上の炊き込みご飯の素を発見した。かつおぶしの老舗にんべんから出ている冷凍食品の「海鮮炊き込みご飯の素」シリーズだ。お米二合に、凍ったままの具材と調味液をいれ、炊飯するだけ。具は豪華な鯛、かに、ほたての3種類がある。これに、ごぼうを合わせてあり、炊きたてを食べると、まるで京都の料亭に行ったような、リッチな気分になる。1袋分を1日3回に分けて食べれば、カロリーは最大でも鯛の329キロ。お気に入りの具は、「かに」かな。

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2010/03/15 「武将都市」

今年は名古屋開府400年にあたる。名古屋市をあげてのお祭りイヤーだが、主人公はなんといっても信長、秀吉、家康の三大武将。みんな名古屋とその周辺地域の生まれなのだ。しかも、源頼朝も熱田で生まれたという話があるので、名古屋はまさしく「天下取りの拠点」といえる。そういうすごい歴史をもつ武将都市を実感できるのが、「名古屋おもてなし武将隊」だ。名古屋市が企画した武将都市宣伝部隊で、信長以下、応募者から選ばれた「イケメン」が武者姿で各イベントに登場する。今や市内きっての人気グループとなり、どこにいっても人だかりとなる。人気の秘密は、断固としてわが道を行った戦国武将の「反骨精神」にありそうだ。韓流スターの「儒教のたしなみ」とも通じ合う、日本から失われつつある男の輝きみたいなものを感じる。

<私のお気に入り> 「香梅堂の鈴焼」 ちょっと見、餡子(あんこ)の入っていない人形焼きのようだが、食べてみるととても美味しい。和三盆糖が素朴で上品な甘みをだしている。甘みが控えめなのでついつい後をひいて、食べ過ぎてしまうのが難点かな。

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プロフィール

荒俣 宏 (あらまた・ひろし)

1947年生まれ。慶応大法学部卒。博物学者であり、小説家・翻訳家。「世界大博物図鑑 第2巻 魚類」でサントリー学芸賞。ビブロマニア(書籍蒐集マニア)としても有名。2010年名古屋開府400年記念事業ゼネラルプロデューサー。

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