『MSNビデオ ダ・ヴィンチ スペシャルサイト』

2006.05.01~07.30
URL:http://promotion.msn.co.jp/davinci/about.htm

[音声]
Ⅰ ダ・ヴィンチは歌手だった?

ダ・ヴィンチの活動分野・出生
非常にまじめな科学者であり、非常にまじめなアーティストであり、非常にまじめな技術者であるっていう点は、そうなんですけど、でもそればっかりじゃなくて、かなり馬鹿げたこともやっていますよねえ。でー、何よりも、自分の才能をセールスしなきゃいけない人だったんで、つまり、パブリシティーもできないといけなかったっていうことがあるんで、現に、ミラノに招かれた最大の理由は、歌が上手いからですよね。歌手として雇われてるわけです、最初は。で、多分あのー、フィレンツェでも、ダ・ヴィンチ青年に一番最初に関心を持たれたのは、多分美男子だったからという理由だったと思うんですよね。美男子で歌手っていう要素があって、その上にいろんな才能があるんで、それらをひっくるめて、彼がいろんなところへ売り込みにいって、自分のやりたいことをやろうとした、そういう立場の人物だったと思うんです。

ダ・ヴィンチの出生について
で、それにさらに付け加えて、出生が非常に複雑ということがあるわけですよね。まあ、お父さんはかなり有力な人でしたけれども、本当のお母さんは、えー、まあ一種の付き合っていた女の人ですよね、本当は。その後あのまあ、お父さんに奥さんが来るわけですね。つまり、お母さんが二人いた。どっちが本当のお母さんだかよくわからないんだけど、とりあえず二人のお母さんに育てられたっていう。多分、女性に対しては、敬意を持つ一方、尊敬している一方、なんか怖い部分があったんで、近寄れなかったし、えー、お父さんとは非常に複雑な葛藤があったし。そういう複雑な生い立ちもあるので、そういう中で生まれた青年、少年、ただ単に才能があっただけじゃなくて、ある種コンプレックスもあったし、一口に言うと、非常に謎めいた面がたくさんある、人ですよね。で、世の中はそれらをひっくるめて、よく解らないんだけど偉い、偉くて万能っていう、多分レッテルを貼ってと思うんですよね。だから個別にいろいろと眺めてみると、いろんな要素があるんで、えー、われわれの現代のようなストレスをたくさん溜めて、しかし多くの希望を持っていた人で、それを実現する才能もついでに持っていた人だった。解れば解るほど多分、ダ・ヴィンチって自分に近いなとかっていうが、えー、解ってくるじゃないかと思います。

Ⅱ “メモ魔”だったダヴィンチ

ダ・ヴィンチの性格について
性格的には、あー、かなり真面目にいろんなものを取り組んだのは確かだと思いますね。なんせえーっと、メモ類が、何枚だったかなあ、三千何枚残ってるわけですよねえ。チャッチャカチャッチャカいろんな思い付いちゃあ書いてるわけですよ。これ一つをとっても相当マメだっていうことが言えますよね。それからいろんなプロジェクトをたくさん立ち上げてますよね。プロジェクトリーダーだった。もちろん、絵のプロジェクトからはじまって、えー、町興しも考えたし、えー、河川の改修、えー土木工事、それからもちろん戦争のノウハウを蓄えて、当時まだ戦争がありましたし、そんなこともずーっと考えていた人ですから、常にいろんなプロジェクトを持ち、えー、常にいろんなことを実現する手立てを考えていた。うーん、そんな暇はなかったんじゃないかという感じがしますね。それだけ、えー、マメで真面目で、なんか是非いろんなことをやってやろうという、えー、まあプロジェクトリーダーとして、色んなことを常に考えていた人物じゃないかと思いますね。

ダ・ヴィンチの才能について
で、やっぱり、これは面白いなっていうことを、えー、見つける能力が、つまり面白がる能力が高かった人だと思うんですよね。絵についてはまあ、昔から、えー、かなり好きで描いていて、自分のあの推薦状なんか見ると、絵が描けますっていうのはあまりトップじゃないんですよ。ついでに、あの何なら絵も描きますよっていう程度だった。で、上の方は、兵器作れるよとか、土木建築できますよとか、歌も歌えるぜっていうのが、彼の売り文句としてはトップにあって。でも絵も描いてもいいですよってぐらいで下の方だった(笑)。でも、十代の時にはあのー、ヴェロッキオという工房に入って絵の勉強たくさんしていますよね。でー、昔のあのー、画家たちっていうのは、今のアーティストじゃなくて、まあ職人でしたから、えー、装飾をしたり、演出をしたり、舞台を作ったり、お祭りの時にはいろんな出し物を作ったりっていう、まあ一種のイベント・エンターテイナーでしたからね。そういう要素もたくさん持っていた人で、そういうこともやんなきゃいけなかったんで、つまりなんかあのー、ただ真面目でこう、うーんとかあのー、部屋の中に閉じこもっているような仕事じゃあないんですよね。そういうのを、いろんなことをたくさんやろうとしていた人なんで、でー、その一番基本がやっぱり、与えられた仕事を面白がれるかどうかっていう、その才能はものすごくあったと思うんですね。

Ⅲ とにかく約束を破る人間だった?

ダ・ヴィンチの絵の不思議
ダ・ヴィンチが描く絵って、変だ変だってみんな言ってたわけですよ、えー。で、『モナ・リザ』を含め、『最後の晩餐』も修復されて余計その不思議さ加減がはっきりしてきたんですが、やっぱりどことなく変っていうのが、えー、言えるわけですよね、えー。で、その変な理由は、それまである定形や決まり文句やあるいは、えーなんて言うのかなあ、お約束事をなんかことごとくはずしているところに、おそらくその原因があるじゃないかと思うんですね。

「最後の晩餐」の不思議
でー、修復されてから眺めてみると、やっぱりその『最後の晩餐』の図の不思議な気配っていうのがより一層はっきりしましたよね。で、『ダ・ヴィンチ・コード』で一番あの有名になったのは、キリストの隣りに座っている人物が、どう見ても女性であるっていうことは昔から言われてきましたけれど、隣りはヨハネが座ってるっていうことになってたわけだけど、ヨハネって男なんですが、女が座ってるわけですよね、現に。どうもこりゃあ、お約束としてはヨハネが座ってるのかもしれないけど、明らかにあれは、メディアとしてはヨハネは座っていないので、違う人が座っている。端っこの方何やってるかっていうと、だいたい言い争いしてるわけですよね。で、誰もキリストに集中していない。こんな最後の晩餐にもかかわらず、キリストだけ蚊帳の外かよっていう絵に見えるんですよねえ。

ダ・ヴィンチの絵のルーツ
冗談かもしれません。って言うのはあのー、ダ・ヴィンチにいろんなあのー面白がり方を伝授したお父さんの弟だったかなあ、叔父さんがいるわけですよね。面白い小説が出ると、ベストセラーが出ると、叔父の、ああ叔父じゃない甥のダ・ヴィンチを呼んで話をするわけです。で、『スターウォーズ』とか『ロード・オブ・ザ・リング』みたいな話を一生懸命するわけですよね。ダ・ヴィンチもたいへんそれを関心を持って、それがダ・ヴィンチの絵にも、たいへん、こうなんて言うのかな、影響を与えていて、スペクタクルなシーンっていうのを、動いているものとかっていうのをたくさん描くような、えー、方向になるんですよね。まあある種、あのアニメイトされた世界っていうか、この世界は静的ではなくてものすごく動いていて、人間も動いているぞってことを、背景の中にコンテンツとしてずうっと、入れ込んでいる。『最後の晩餐』はそういうものを見事に反映さしているし、そして何より女性が一人書き加え、描き加えられてるってことに、不思議な魅力というか、なんかそれを解明せずにはおけないような窓口をポータルを作ってるわけですよね。

Ⅳ 手放せない愛しのモナリザ

「モナ・リザ」のモデルについて
やっぱり最大の謎は、アートとしては『モナ・リザ』だと思うんで、で、多分『モナ・リザ』は、あーっとあれ誰だったかなあ、リサ婦人かなんか、ジョコンドーという一家の人の婦人をモデルにして、確かにパトロンはそうだったかもしれません、お金を出した人はそうだったかもしれませんが、別にその女性を、えー、オーダーの主の、喜ぶような通りに描いたわけじゃあおそらくないと思うんですね。その証拠に渡してないわけですよ、オーダー主に。多分お金だけもらって、もしかしたら、あのー描いたんだけれど、最終的に違うものを渡して、自分はずっと持っていたんじゃないかと思うんで、その一事を取ってみても、多分オーダー主通りのメディアとして作ったわけじゃないと思うんですね。

「モナ・リザ」の背景について
でー、僕もあのダ・ヴィンチの『モナ・リザ』の描かれた背景らしきところっていうのは、行ってきました。で、ダ・ヴィンチの村のちょっと外れに本当に、元火山だったらしいんですよね。火山の火口のこういう土手がずっと残って、それが風雨に削られて、こういう桂林の山みたいなものがずうっとできてきて、一見すると山水画のような背景になってんですが、あれー、どこを見ても出てくるんですよね、背景が。多分あれをずっと眺めて、彼が一番感じたのは、大地の持つ力だと思いますね。あそこは火山の跡だったっていうことも含め、洪水があって竜巻があるんです。おそろしい力を持っている。で、大地は時々荒っぽいことをするけど、それはあの癇癪を起こしたお母さんの怖さで、時には恐ろしく、で時にはやさしい世界なんだけど、これが世界のエネルギーの一番資源的なものであり理想的なものであり、同時に宇宙の法則の一つなんだよと言ってるような実感が、えー、あの『モナ・リザ』の絵の中には、うーん感じることができると思うんですよね。でそういう意味で、絵は彼の何を理想として求めたかっていうものを追求したり、感じたりする、一番端的なメディアの一つなんじゃないかと思っていますけどね。

Ⅴ 宇宙人とも交信できる芸術?

ルネサンス期の状況
ダ・ヴィンチの時代は、われわれが思うほど、おー、時代離れしているわけじゃなくて、ま、その当時の名前はギリシア・ローマの古典的な文明というのが、もう一度開放しようという、そういう言い方で言われてましたけど、まず今で言えば、若者文化だったり、もう昔の枠を外したり、えー、そういう動きと似てるわけですよね。で、ついでに通信が、今インターネットがあー、できたように、新しい通信の方法がたくさんできました。で、その通信の方法の一つが、絵ですよね。アートっていうもの。でー、このアートには、今までは、ただ装飾だったんですけど、これにいろんな意味をたたき込めるようになってきて、まあメディアになったんですね、簡単に言うと。今の広告ポスターと同じような、確かにあのー、○○社製の○○の商品を買えとは描かないんだけど、全体を見ていると、あー、なんかこれ美味しそうだなあとかっていうようなメッセージをちゃんと持つようなアートになってきたわけですよ。だから、読まないとダメなんですよね、もう。感じるだけじゃダメで。で、そういう複雑なアートの、メディアとしてのアートがでてきた頃なんで。で、近いわけですよねかなり。でー、そういう中でそういうのを、もういち早くいろんなえー、利用法を考えたっていう点では、えー、ダ・ヴィンチは時代が与えてくれるツールやノウハウを自分のワンダーの武器に使えるっていう、ある種非常に柔軟で、えーまたあー、多彩で器用なそういうところがあったと思うんですね。

ダ・ヴィンチが絵を描く目的
やっぱり何のためにそれをやるかっていう目的論がかなり、ダ・ヴィンチははっきり持っていたと思うんですね、えー。で、一つは、おそらく、何が理想かっていうことを考えていた、人間として何が理想かっていうことをおそらく考えていたと思いますね。宇宙に出しても恥ずかしくない、宇宙人たちと並んでも恥ずかしくない地球人を送り出さなきゃいけないわけですよ。で、もちろん体のプロポーションからはじめて、顔の造作、それから頭の成り立ち、それから高潔な、えー、意識、道徳心、えーそれから宇宙全体を考える知的能力、これをみんなこう備えた人間を、作ってはじめて宇宙へこう、差し出して、どうですか地球人も悪くないでしょっていうプレゼンテーションを彼はしたかったんですよね。

Ⅵ 理想としたのは「女性的」?

ダ・ヴィンチから学んだこと
一つは、えー、世の中は、えー、定説だけでできているわけではないっていうことですね。えー、つまりほとんど、えー、例外の組み合わせによってできてる。えー、数学の法則だけでできてるわけじゃあない。こんなにゴチョゴチョいろんな勝手なことを考えてる世の中が、多分現実だと思うんだけれども、これを数学の数だとか、あるいは宇宙全体と繋がるものと、その基本的な原理を探し当てようとしたら、相当ウルトラCの技を使わなきゃいけない。なるべくたくさんのことを調べて、例外だらけの世の中のことを調べれば調べるほど、例外の中に入っているコンスタントなものって、解ってくるんじゃないかなあって形を、僕はダ・ヴィンチに一番学びました。で、いろんなことをやりながら、その全部に一見バラバラなものの中に、共通項がなんとなく探り出せるという、ま、センスを磨き上げる必要があるんじゃないかっていう点では、非常に大きな、あのー要素を感じることができたと思うんですよね。それからもう一つは、あー、ダ・ヴィンチを見ていて、もう一つ非常に重要なのは、やっぱり、この世の中、男が作ってるわけではどうもないらしい、えー、あたかも男がやってるかのように見えるんだけど、ほとんどは女の手のひらで、女性的なものの手のひらでやってるらしい、ええ。っていうことをとても実感しますし、ダ・ヴィンチが最後まで持っていた『モナ・リザ』なんかを見ていると、やっぱり一番の謎は、一番の理想型は、女性的なものであるっていう感じは、とてもしています。で、女性的なものを、もうちょっと解りやすく言うと、多分ナチュラルなもんだっていう感じがするんですよね、えー。で、いろんな手を加えていろんなものを作る、無理矢理作る、法律とかも含めて、そういうのを男性的なもんだとすると、放っておいても機能するし、おそらく何千年も機能するものっていうのは、女性的なものだろう。子供を産んで、その子供が幸せに暮らせばいい、何の方法論もないみたいなんだけど、システムにはなっていないシステムなんだけど、非常に永続して続くというような、ま、まさに朝御飯の味噌汁と漬物のような、そういう持続力っていうのは、自然の力であり、女性の力だと思うんですね。でそれは多分彼のアートが、一番それを物語っているんじゃないかなあ、っていう感じがしますね、えー。

Ⅶ 現代のダ・ヴィンチはあの人!

現代のダ・ヴィンチ的な人物
えーっと、現代のダ・ヴィンチ的な、えー、精神で一番こう、比較して面白なって思うのは、一人はアーティストで岡本太郎っていう人がいて、ええ、この人はかなり、あのダ・ヴィンチ的な要素を持っていたんではないかと思うんですね。あのー、絵の感じって全然違って、あのー、岡本太郎の絵は何かちょっと、モダナイズされた、えー、ヘタウマ絵のようなところがある一方、ダ・ヴィンチはものすごく正確にデッサンもきっちり描いた、数学者のようなアートっていうイメージがあるんですけど、でも案外そこに流れている精神って、近いものがあると思うんですよ。で、岡本太郎も要するに、あの、宇宙のモデルを描きたかったわけですね。で、彼のモデルは、日本流の縄文という、縄文の人間が一番日本人らしい人間である、つまりモデルをとても提示したかった人なんですね。だから、あの絵って、あのー、グラスの底に顔があったり、太陽の塔であったりするだけではなく、あれ一種の彼が提示した日本人の忘れた理想像なんです。で、縄文人なんです。厚い唇、でっかい目。なんか不思議な個性にあふれた、エネルギッシュな顔で、えー、何かこのコセコセとした、えー何て言うのかな、知識レベルのものを蹴散らしてしまうような、あの強さっていうのを、モデルとしてやっぱり提示したかったんですね。それからもう一人、近い人間は、あのー、ビートたけしみたいな存在って、とてもダ・ヴィンチの境遇との近さを感じますね。えー、んー、一つはプロモーターでありエンターテイナーであるわけです。でも芸人なんだけど、その芸人のさらに先にいろんな才能を持ち、で、面白がり方の天才で、“センス・オブ・ワンダー”のやっぱり基本的な要素を持っていたんじゃないかと思うんですよね。で、時には毒舌であったり、えーあんまり社会の定説やお約束事っていうのには、大きな心っていうのをあまり向けなかったっていう点でも、んー、近いものがあるんじゃないかと思いますね。

Ⅷ 世界的ヒットの鍵は「混乱」

小説「ダ・ヴィンチ・コード」について
やられたなあって感じがいたしました。でー、やっぱり彼が、ダン・ブラウンが、あのー辿り着いた結論は、非常にうまく、えー、ダ・ヴィンチのエッセンスを抜き出したってことですね。でーっと、ダ・ヴィンチのいろんなエッセンスの内の、ハードウェアの部分っていうのを、一番中心に置いたっていうのは、えーとてもあの物語を、多くの人々を引っ張り回す力になったんじゃないかと思うんですね。今お話したように、いきなりコンテンツの問題でいったら、多分ダ・ヴィンチに食いついてくる読者って少なかったんじゃないかと思うんです。えー、なぜなら、ギリシア・ローマ的な哲学に繋がっちゃうからです。今回に対しては、ダ・ヴィンチのさまざまに作ったいろんな仕掛けやハードウェアを解き明かすことによって、われわれの発想やお約束事が見事に破れたと思いますね。確かに、それを有力なのは絵を見れば解る通り、お約束事ではそうなってたんだけれど、よく見たら違うってことが、これだけ羅列されれば、われわれの頭の中相当混乱してくると思うんですね。で、その混乱を、あー、サスペンスな物語に繋げたっていうことでは、非常に上手いアイデアを考えたんじゃないかと思います。

小説「ダ・ヴィンチ・コード」について
まだまだあの『ダ・ヴィンチ・コード』の中に出てきた場面っていうのは、そのままリアルに残っていますんで、そういうもの、ルーブル美術館なんていうのはそのまま謎解きに使ってますよね。
あれ、ダイレクトに出せるっていうところは、映画に作りやすい題材であろうという感じがしますね。もう今や「ダ・ヴィンチ・コード」ツアーっていうのが、フランス中に物凄いですよ。で、一カ月前に行ったときにも、「サン・シュルピス教会」なんていうのは、黒山の人だかりで、あそこに引いてあるラインとオベリスクのとこなんか、なかなか見ることができないくらい人垣ができてるんですね。で、この映画もそれをそのまま使いますから、ツアーに人気があるのと同じような現象が出てきて、えー、われわれの旅心をくすぐったり、今だけたら別にベストセラー小説読んだだけですが、映画が始まるといよいよフランス旅行団が大量に日本でも出てきそうな、なんか予感がしますね。それぐらい現実の、まだあの映画の中でそのまま残ってるところがあるんで、われわれも旅ができるという、二重三重の楽しみを持っている、えー、物語だと思いますね、えー。


(DOJI-I様)