マンガ



アラマタのマンガ好きをご存じだったろうか?

貸本屋の時代からマンガにハマったアラマタ。
実は幼い頃からマンガ家を目指していたのである。しかも、少女マンガ家を!

小学生の頃から大学生の時分まで幻想系少女マンガ(恐怖モノを含む)を描きまくっていたのである。




アラマタが小学生の頃(昭和30年代)はまさにマンガの全盛期。
当時、マンガ雑誌・貸本とも隆盛をきわめていた。

マンガ界の大きな流れは劇画系とトキワ荘系(ただし水木御大は当時から別格)。
普通の子供は夢とロマンのあふれるトキワ荘系に夢中になるが、アラマタはもちろん、貧困や憎しみ、
犯罪、怪奇などを盛り込んだ劇画系(「影」「魔像」など、いわゆる日の丸文庫系)にハマる。
お気に入りは平田弘史や宮地正弘、楳図かずお等々(水木御大は別格)であった。
(ちなみに、楳図かずおは関西「街」系で、若干系統が異なるらしい)

The Dust Lady
特に楳図かずおに刺激をうけたアラマタ、以降、楳図をライバルとし少女マンガ描きに没頭する。少女マンガにこだわる理由をアラマタは

 ・ファンタジーを描きたかった
 ・挿絵画に興味があったため、ファッション画や装飾画を自由に描ける

から、と述べている。

ただし、さかんに持ち込みなどを行ったものの、結局メジャーで採用された
ものは、大学生の頃の4Pの小作品である「THE DUST LADY」のみ。
(右が同作品の主役、星くずを掃除する美女。初出は「SF漫画競作大全集」
 東京三世社、83年9月号。アラマタ・ヒロシの名前で発表。「漫画と人生」
 集英社文庫・荒俣宏コレクション・ISBN4−08−748237−5にも再録
 されている。なお、「課外授業ようこそ先輩」のなかで、子供のころ書いた
 「Challenge家の惨劇」の原稿も紹介されている)